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マンダラエンディングノート~「私の終活編・ツナグこと」供養

亡くなった人を大切に思うとどんな気持ちになりますか?

2017-08-04
マンダラエンデイングノートの
供養を取り上げたページにある質問
Q.亡くなった大切に思うとどんな気持ちになりますか?
Q.大切な人が亡くなったことをどうやって受け入れていますか?
Q.亡くなった人をどのように供養したいですか?

直後は、後悔ばかり・・・。
親孝行したいときには親はなしと言いますが・・・
遺されたものは大きかったです。
感謝しかありません。

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17年前、母が逝きました。
WEB日記に残されたその数日の記録や心のさまが甦ります。

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2004年8月3日(火) 虹をくぐって

とにかく寝ました。
少しすっきりしたので、午後からは会社にいってきました。
月末月初の仕事が気になったからです。
最も大変な時に休まざるを得なかったのです。

早く出て行き過ぎたのか、皆から、もっと休みなさいと言われました。
でも、ひとりだけは、よほどきつかったのでしょう。
助かったとばかり、これも、あれもと言って来た。
さもあろうと思う。
思ったより、仕事を片付けてくれていたことに感謝。

少々の間違いは目を瞑り・・・。
帰り道、夕映えの中、虹がくっきりと孤を描いていた。
その外側にも、2重に虹がかかっていた。
久しぶりに見る美しい虹だった。

韓国では、死んだ人は、虹をくぐって、あちらに行くと言い伝えられているそうです。そんなことを思い出しました。
これからは、虹を見ると、母のことを思い出しそうです。

桜の花を見ると父を思い出すように。
虹は、そう滅多に見られるものではないからいいです。
父のときのように、亡くなった後、しばらく桜を見るのは辛かった。
何処にでもあるのですから。

虹、桔梗、蓮の花は思い出の種。
他にもこれから出てくるのでしょうね。

きれいなものばかりですね。

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大切な人が亡くなったことをどうやって受け入れていますか?

今は思います。
悲しみは悲しみ尽くすしかないのかもしれない。
下手に押さえこんだりすると、それは違う感情に姿を変えて、たとえば、怒りや罪悪感や無力感など余計扱いにくくなるかもしれません。
悲しみを味わい尽せる状況にあることは、むしろ健全なこと、幸せなことで、仕事があったり、置かれている状況ではそれどころではない状態だから
よかったなどと思っていたら、いつか、大きなうねりになって津波のごとく襲われる。
一人で籠る。
ひたすら眠る。
ぽつぽつと聴いてもらう。
温泉で体をほぐす。
ボロ泣きできる映画を観て涙を豪勢に流す。
本屋で癒される言葉を本の中に探す。そんなところかな?

2004年8月4日(水) 哀しみは降るように湧いてくる

仕事を終える前に、お茶場を片付けるのが日課。
1日中、滅入りそうな自分を励まして、何とか働いて、頑張って、終ろうとしていた。
急に悲しみが降って湧いてきた。
病院に行くために、いつも大急ぎで片付けていた。39分の急行に乗ろうとしたら大急ぎだった。
もう、急がなくていいんだと思ったら、堪えきれなくなった。

必死で我慢して家に帰った。
家に入ると、わんわんと泣けてきた。
大声あげて初めて泣いた。
悲しくて、悲しくて、辛くて、悔しくて・・・。
なんで、これまで、冷静でいられたのか不思議なぐらい、堰がきれたようにだった。
そして、泣くだけ泣いたら、少し落ち着いた。

食事の用意をして、子供たちが帰宅して、普通にしていたのに・・・。
心配してくれる友人とネットをしていたら、また、悲しみの渦が襲ってきた。
一晩中、悔いのオンパレードをやっていた。もっと、元気なうちに教えてもらうんだった。なんてとり返しの付かないことをしてしまったんだろう。
悔いはいろいろ出てくる。次々と・・・。
どうにももならないと解ってる。
もう、何処にもいないんだ。
もっと優しくあげればよかった。
もっと、側にいたらよかった。
仕事なんか止めて看るべきだった。
見てあげたかった。
寂しそうな姿ばかり思い出す。たら、たらばっかり・・・
こういう状態が一番つらいから、後悔しないようにとやってきたのに・・・。
前向きなんてなれない。取り返しつかないんだから。
今はどうやら、そういう時期のようです。こうなるのは予想通り。
今は、悔いが噴き出すときのよう。そのうち違う感情に移っていくのだろうけれど・・・。 
ベストも尽くしてこなかったと思ってしまう。
もっとできること、やり方はあったと思う。
逃げていたこともあると思う。
そのことは紛れもない真実で、一番心を直撃する。
愕然とする。 
もう、どうしたって喜ばない。
もっともっと喜ばせてあげたらよかった。

苦しい一晩を過ごしてしまった。
こうなったら、とことんやるしかない。
夜、ものを考えるのは本当によくない。
それでも、朝がきたら、何とか考えはまとまるものらしい。
すこしずつ、気持ちが楽になるように工夫する方策は見つかるものだ。
とりあえずやっていこうと・・・。
それにしても、朝の顔は、泣きはらして見られたものではない。
体も限界に来ている。
足も痛い!どうしたんだろう。

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亡くなった人をどのように供養したいですか?

2018-04-08
家族の思い出からたどる自分の物語
叔母の写真やいとこたちとの思い出の写真をアルバムから外して
新しいアルバムに貼り替えて法事に持っていきました。

そこには家族たちの物語がありました。
ワイワイと思い出話に花が咲きました。
おばちゃんの持っていた写真を引っ張り出して
またワイワイ・・・、貴重な写真も発掘!いい時間になりました。

2月の福井の豪雪で、10人以上の方が命を落とされました。
福井県勝山はもともと豪雪地帯です。
子どものころは2階から出入りしたそんな記憶のあるドカ雪の降る地域です。

おばちゃんは、家人が仕事から帰ってきても雪かきをしないといけないからゆっくりできない。
少しできるところをかいておいてやろうと思ったらしい。
そして雪に埋もれて急逝しました。

あまりに元気だったのが仇になってしまった。
口惜しい・・・。
昨年の秋に会ったとき、元気で100歳まで生きると本人が言っていたのに。

88歳で現役のお百姓さん。人生100年の人でした。
何があるかわからないのが人の世のならい。
あまりにも急で強烈なショックで、しばらくは唖然としたまま心が元気になれないでいました。

88歳は早い死ではないけれど、亡くなり方が哀し過ぎて、しばらく軽いショック症状が続きました。
日々の暮らしのなかで、たまたま奄美の旅の予定があったことや、徳島での仕事と西国お遍路など十分に癒しの時間と状況が与えられての四十九日でした。

法要のために
福井県勝山市に3日間滞在しました。
真っ白な白山、雪解け水が滔々と流れる九頭竜川が迎えてくれました。
郷に雪は消えていました。
2月の風景とは様変わりして、穏やかな日差しに包まれていました。

呆然とするばかりだった葬儀から、ひ孫たちがはしゃぎ遊ぶ中での満中陰の落ち着きの中での法要でした。
地のご縁と絆、身内のご縁と絆が有難くて
親戚や縁者が久しぶりに顔を合わせてワイワイと話に花を咲かせる。
「葬式は孫の祭」というそうですが、法要はまさに「ひ孫、、孫の祭」
おばちゃんはきっと、微笑んで見ていてくれていますね・・・。
ありがとうございました。

もう、楽しく穏やかな世界にいらっしゃる。
遺影が微笑んでいました。
素敵な供養ができたことが嬉しい。

無事に終了した後は産土神社に初めておまいりもできました。
その夜はブルームーン、満月🌕の夜は静かに更けていきました。

脈々と命が繋がってきて、今、自分が存在していることに感謝して
祈るばかりです。

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