見出し画像

同窓会あるある・・・

同窓会ネタ連続投稿です。
高校の卒業56年目の同期全体同窓会、2024年4月13日。
ここしばらくは10年毎だとこれからは逢えなくなることが増える。だから5年に一度開催して生存確認するようになった。5年に一度は案外に忙しい。

20期生は11組で550人いた。その中で50人が旅立った。
あのころは、まさかこんな日が来るやなんて考えもしなかった。
そして、150人が連絡が取れない。350人中100人が集まった。
それは多いのか少ないんだろうか。55年を経て、約3.5人に一人がこの場にいると考えたらそれは大したものだと思う。

我が3年1組は15人出席の予定で大方は最大勢力となった。
そらそうや、うちのクラスはグループLINEも持ってるし、1年に2から4回はクラス会を開いてる。
そんなクラスばかりではなくて、ハガキや電話に頼っているし、クラスによっては出席者3人とかのクラスもあって寂しい限り、お世話する人がいないんやろな。

なんぞと偉そうに言ってはいるけれど、我がクラスのLINEグループは昨年作ったばかり。上手く使えているかどうかは人任せになっている。
コロナ明けで2回目のクラス会のお世話をした。連絡が面倒くさい。また、すぐに世話役が廻ってくるんやったら、作っといた方が楽やしと思って、その場にいた人達を巻き込んだ。
そりゃもう時間がかかること、かかること。ただ、皆さん、元は賢い人たちばかり、登録さえできたら後は結構うまいこと使ってはる。
しめしめやけど、いまだに「スマホは持たん!」なんてことを言う人もいて、前途は多難だ。

面倒くさいけれど、決して嬉しいわけではないけれど、それでも、廻って来たお世話役は断らへんて決めている。
それには理由がある。痛い目に何度も逢ったから。
そのことは、すでにしっかり描いているので、こちらを見ていただきたい。

人生観が変わったつもりだった。
だけど、そんなことがあったのに、私はまだまだ学べていなかった。同じことを大学の恩師にもしてしまうのだ。

こんな苦い思い出の中で同窓会のお役目を果たすことは、罪滅ぼしのようなもの、間に合ううちにと思うけれど、まだ、現役で仕事をする身では儘ならない。そういう思いを強く思った高校の同窓会やった。

ゆっくりと昔語りもしたいのに、みんながなぜかちょっとした興奮状態。そりゃそうやね、こんな華々しい大勢の会に出るのは日常ではない。いつもは嫁と旦那と時々は孫との交流だけ。近所の奥さんと立ち話ぐらいが日常やったら、そりゃ仕方ない。話があちこちに飛ぶばかり、話し半分で誰もが席を立ってしまう。話し込むこともない。なんだか、お話も乗らなくて詰まらない。年齢のせいなんだろうか。すぐに数十年を越えることができると思っていたらしいが、間違いだったのだろうな。

先週の大学の部活でも感じたのは、もう何回も逢えないってことだ。ならば、会える時に逢っておこうと思うけれど、なんだか重いこの体・・・。

「55年経てば面差し変り果て君は誰なの訊けるわけなし」
ショックだったのは、すぐに気づいてもらえないこと。30年前までは、「全然変わってへん、どうしたらそんなに変わらずにおれるの」そう聞かれたことはもう昔の話。「あのおばちゃんは誰なん?」そうなるやろね~。

他の人は知らんけど・・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?