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ライシテは、フランス独自の概念にあらず

〔紹介書籍〕ボベロ、ジャン(2009)『フランスにおける脱宗教性の歴史』三浦信孝・伊達聖伸 訳、白水社文庫クセジュ.


 〈ライシテ〉とは何なのか?それについて、しばしばムスリマのスカーフ問題と絡めて、信教の自由の抑圧という観点から批判的な論調で語られ、あるいは「フランス独特の厳格な政教分離」と形容される場合がある[1]。しかし本書によれば、ライシテは本来、教会と国家が協力関係になることを防止し、市民の自由と権利を保障すること、宗教についていえばむしろ信教の自由を確立することを目的とした憲法の基本原則なのである[2]。
 1789年に始まったフランス革命以降、フランスではカトリックを頂点としたアンシャン=レジームの正当性が否定され、次第に国家権力を非聖化、つまり教会と政治権力の分離が提唱されることとなった[3]。しかし、最初から現在のような教会と国家の分離が達成されたわけではなく、実際にそれが政教分離法として定められたのはそこから100年以上経過した1905年なのである[4]。
 フランスでは「革命の娘」、つまりフランス革命の目的に沿って国を宗教に依らず近代化しなければならないとする考えが政治において主流を占めた時期がある一方、革命以前やナポレオンによる第一帝政の時代(1804-14年)にローマ教皇庁との間で締結されたコンコルダート(宗教協約)により事実上の政教一致体制となったように、カトリックを重視する「教会の長女」でなければならないと考える立場が巻き返した時期もある[5]。このような共和派とカトリック派の対立を「二つのフランスの争い」という[6]。
 信教の自由や公教育における非聖化は、前述の二つの立場の論争の中で徐々に法律の制定を通じて制度化された経緯があり、政教分離法制定後も現在に至るまでカトリック系私学に対する助成金をめぐる問題や、公共空間における宗教に対する立場は一枚岩というわけではない[7]。フランスにおいてライシテはどうあるべきなのか、今も議論が続いている状況なのである。
 このような歴史を経て確立されたライシテだが、それは前述のカトリック系私学への助成金の件を考えれば必ずしも「厳格」と言い切れない側面を有していることが理解できる。筆者はライシテを定めた政教分離法の条文がスコットランドとアメリカ合衆国の法律を参照しつつ作成されたこと、その原則を他国の政治と宗教の関係にも応用できることを挙げつつ、決して「フランス独自」の制度というものでもない様子を論じている[8]。
 ライシテは必ずしも、一夜にして完成したものでもなければ、フランス独自のものでもない。本書はフランスの政治と宗教の関係史、そしてライシテという概念に対する一面的な理解を打破することを目指して執筆されている。発展的な読み方をする際にも、政教関係という観点から言えば、戦前日本の国家神道体制、そして現代日本の政教分離をどのように捉えるか、その手掛かりを得る際にも良質な解説書となりうるはずである[9]。(N. K.)


〈注〉
[1]伊達聖伸(2018)『ライシテから読む現代フランス 政治と宗教のいま』岩波新書、P.17-8、24、212-3 参照.
[2]紹介書籍、P.9、16、157 参照.
[3]同上、P.18-24 参照.
[4]同上、P.122 参照.
[5]同上、P.37-41 参照.
[6]同上、P.49-50 参照.
[7]同上、P.70-94、133-8、153-60 参照.
[8]同上、P.15-6、169-78 参照.
[9]同上、P.13、184-5 参照.

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