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好きなものに理由はいらないが、嫌いなものにはきちんと理由をつけるべき

先日、本当に久しぶりに「映画館」へ行った。

「映画館」も、今回の騒動で、相当ダメージを受けている業種のひとつであろうと思う。

気積も大きいし、間隔を開けて座らせるなど感染対策も施されているので、そこまで神経質になることもないと思うのだが(飲み屋のように騒いだりしませんし)、いずれにせよゆったり観られるというのは、申し訳ないが、こちら側としては、むしろ有難いことなのかもしれない。(ちなみに僕は最前列で観たのだが、その列は僕一人だった。)


さて、


肝心の映画の内容であるが、映画名は伏せておくが、残念ながら自分的には納得のいくものではなかった。

久しぶりの映画鑑賞なので、期待が大き過ぎたのかもしれないが、それにしても、お粗末な内容であったように思う。

「あなたの好みではなかっただけでしょ。」と言われてしまえばそれまでなのだが・・・。


ところで、


こういった、作品や物事に対する「好き」「嫌い」というのは、どうしても起こりうるものだ。


そのたびに思うことなのだが、


「好きなものに理由はいらないが、嫌いなものにはきちんと理由をつけるべき」


ということだ。


人がある対象を「好き」になるのに、理由はいらない。


ただ、「好き」なだけでいい。


例えば、ある娘を好きになったとして、

「あの娘のいったいどこが好きなの?」

と尋ねられたとしても、好きなものは好きなのだから仕様がない。

全身、全霊、存在すべてが「好き」なのだ。


それでも、「きちんと教えてよ。」などと言われて、その場しのぎに、「指先がとっても綺麗なんだ。」などと答えたとする。

でも、何かの不慮の事故で、その娘が指を失ったところで、「好き」に変わりはない。

「好き」とはそういうものだ。(これは単なる「のろけ」か・・・。)


一方、「嫌い」にはきちんと理由があるはずだ。

と、いうより理由を自分なりに検証すべきだと思う。

「なんとなく嫌い」では、どうもよろしくない。

「これこれこういう然るべき理由があるから嫌いだ。」

と、きちんと、できるだけ論理的に説明すべきだと思う。

それが、それを「好き」と言っている人への礼儀だという気がする。


さて、今回の映画も、納得いかなかった理由を、せめて自分の中だけでも論理的に検証しようと試みてはみるのだが、どうも上手くいっているのか自信がない。


そんなことこを考えながら、鑑賞後にネットでその映画のレヴューを見るのは、やはり楽しい。


「あ、同じ考えだ。」


なんて感想を読むと、こちらから握手を求めたくなるし、論理的に説明されている文を読むと、大変勉強にもなる。


さて、


そんなやりとりが、以前は BAR などで盛んに行われていた。


今になってみると、あの時間は、とっても贅沢だったんだなあ、なんて、あらためて思う。


また、そんな時代が来るのだろうか・・・。


そんなことを考えた、久しぶりの映画鑑賞なのでした。



うちの店を「嫌い」という人がいても、そう言って問い詰めたりしませんのでご安心を。


理由を聞いてショックを受けるのは、気の小さな店主なので(笑。



神保町へお越しの際は、是非お立ち寄り下さい。

「好き」と言ってくれる方は、どうぞそのままで。理由はいりません。

お待ちしております。


Exotique / LEE MORGAN
 Blue Note
1964

(本文の最後に、お店でよくかける音楽を紹介しています。お家でお酒を飲まれる際に是非どうぞ。今度お店に聴きに来てくださいね。)

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