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あなたは何者でもなくていい。「何者でもない」ことが自分を解き放つとき。

体調の関係もあり長らく更新できてなかったのですが、文章をかくリハビリのためにもぼちぼちnote更新していきます。しばらく投稿しない間にnoteに機能がたくさん増えていてすごい・・・。

さて、会社を辞めて独立する前に、事業相談をした人にこんな悩みを吐露したことがある。
「自分がこれから何者になるのかわからない」

自分は何者として仕事をしていくのか。
この問いは独立したあとも解けることはなくて、色々なお仕事をさせてもらい出来ることの幅が広がるにつれますますわからなくなっていった。

〇〇をやっている××社の社員、というのは時分が何者かというのをものすごく語りやすい。
独立して自分で事業をはじめると、何だってはじめることができて、事業でどんな価値をつくるかを自分で考えることができる。一方で自分になにができて、何をやっている人なのかを分かりやすく説明しなくちゃいけない。

独立して2年が経った。その間に一応法人化もした。
複業・パラレルワークという言葉が流行っている。

複業とは、副業=本業以外からも収入を得ること に対し、
複業=複数の本業を持つこと と定義されており、いまや国や自治体もこれを推奨する流れになりつつある。

かくいう私も自分の会社をもちながら、複数の組織の運営や事業に関わったりと、知らぬ間に役割や肩書きが増えていて気がつけば複業をしている状態だ。(もちろんその時々の意思決定は自分でしているのだが)

そんななかで、また自分は何者なのかという悩みが噴き出してきた。自分の立ち位置、業界での差別化、ブランディング...考えるほどに自分をフレーミングしようとして、いつしか身動きとれなくなっていることに気がついた。結局私自身はなにがしたかったんだっけ、と我にかえり、ポジションや、誰かに認められようとする「何者」かになることに囚われてしまうことが、自分の思考を制限してしまっていたことに気がついた。

「何者にもならなくていい。」

そんな時に思い出すのが、冒頭の悩みを話した時にかけられたこの言葉だ。
自分は何者だという立場や肩書きで自分を語ることに大きな意味はない。最近、ようやくそう思えるようになってきた。

まちづくりや都市デザインというところは変わらないけれど、今あるフレームや職能のくくりにいまいちしっくりきてないところがある。

情報過多な時代だからこそ、人と自分を比較してポジショニングしてしまいがちだが、既存の枠組みで語ることが難しい働き方や、社会における役割が生まれつつあることは確かだ。それを無理に枠組みにはめようとすることを、いったんやめてみようと思う。

何者でもないからこそ広げられる世界がある。

自分の軸に沿って、やってみたいと思うことを素直にやり続けていたら、新しい輪郭が見えてきそうだ。今はそんな気がする。


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