『ハル回顧録』の理想と現実(1)軍備の不足が戦争を招いた、という現実

 大体にして物事はすべてケースバイケース。一概に決めつけることは出来ない。戦争も、さしあたりここで論じたいのはその始まる原因だが、そう。

 なのだが第二次世界大戦に限れば、その勃発と拡大の原因は、少なくともそのひとつは、アメリカ・イギリス・フランスが戦争への備えを怠ったことだ。

 そのことは当時のアメリカ国務長官コーデル・ハルも認識しており、その著作『ハル回顧録』にはこうある↓

 ここに民主主義国ないし人民が重要な発言権をもつ政府の根本的な弱みがある。こういう国はいろいろの面ですぐれた面を持ってはいるが、不幸なことに外からの危険が目の前にせまっ た場合、ゆっくりと、あまりにもゆっくりと行動するという伝統をもっている。純粋な民主主義は、アテネの市民が文明への貢献としてつくり出したものであるが、この小さな国の国民は、 外からの危険がせまった時に、戦うべきかどうかを人民投票に問おうとした。この指導性の不足、政府当局の指導ということに考えの足りなかったことが、アテネ人をとらえて奴隷にしようとした侵略者の乗ずるところとなったのである。この弱みがアテネの民主主義を弱め、結局亡ぼしてしまった。

 一九三〇年当時、平和を守ろうとした諸国民が、一致した行動をとって十分の軍備をそなえたならば、米国や平和を愛する国々における個人や、階層の食い違う意見を尊重しながら、ド イツ、イタリア、日本の山賊的国民と対決し、第二次世界大戦をさけることが出来ただろうと私は信じている。

中公文庫『ハル回顧録』より


 要するに、当時のアメリカ・イギリス・フランスの国民は、「戦争は嫌だ」と思ってしまった。それそのものは当然であり、まったく結構なことだ。
 しかし彼らは、そのために執るべき手段を間違えた。つまり彼らは、ドイツや日本に対抗できるよう、準備万端怠りなく軍備拡張に励まなければならなかった。当時の状況では、それが戦争を回避する、もしくは世界大戦への拡大を防止する唯一の手段だった。
 しかし彼らはそうしなかった。アメリカについては、やっと戦争準備の開始に入るのが1940年で、それでは戦争防止には遅すぎた。

 つまりは、日本国憲法の前文は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して……」だが、第二次世界大戦当時のドイツや日本がその「平和を愛する諸国民」に該当しないのは明らかだろう。
 では、アメリカやイギリスやフランスは、どうすればドイツや日本の戦争を防止できただろうか?
 十分な軍事力を持って対峙し、それにより戦争開始を抑止するのが唯一可能な手段ではなかっただろうか?
 という、ただしハルはそこまで丁寧には記していないが、そういう話。

 以上、今年もまた憲法記念日を迎え、それに関連するニュースが流れたので、ちょっと記してみた。

 以前も記したことだが、軍備を放棄しても平和にはならない。それは逆に戦争を招く結果となる。
 それが歴史の教訓だ、というのが筆者の主張。改めて結論だけ記すとね。


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