『ハル回顧録』の理想と現実(2)国際協調の理想と困難

 前回の続き。
 理想と現実の狭間で揺れ動くのが人間というものだろうが、国家にもそういうところはある。
 そして『ハル回顧録』は、ハルに限らずアメリカは大体にしてそうだが、国際協調重視であり、その末尾の方でこのような理念を語っている↓

 すでに、この平和を求める国は、休みなくあらゆる努力を行って、公正、平等、相互の尊敬、不干渉の基礎の上に協力することをすすめ合い、理解と信頼をもち、ひいきや宥和政策を行わず、国連憲章を受諾することによって誓約した国際関係の基本原則の実行を目指さねばならない。あらゆる国、あらゆる民族の避け得ない任務と義務は、真の平和を樹立しこれを永遠に維持しうる国際的組織として、国際連合を維持し発展させることである。国際連合に対する義務の忠実な実行から、すべての国がひとしく、測り知ることのできないほどの利益を受けることは自明の理であるが、一方この義務を怠る国の前途には、底知れぬ落し穴が待っているだろう。この世界機構を永続させ、これに真価を発揮させるためには、力を合わせることが、すべての国の利益になることは疑う余地のないところである。
(中略)
 私はすべての国民が、今日の世界においては、法と正義と平和のための協力こそが、原子兵器をふくむ不断の軍備競争にかわる、そしてまたこの競争に参加する国を共同の破滅、全人類の自殺となる破局的行動から救う唯一の道だという結論に達するものと確信している。

中公文庫『ハル回顧録』より


 それは、理念としては誠に結構なものだ。しかし、それを実現できるかはまた別の話になるわけで、『ハル回顧録』にもこのような記述がある↓

 私はすべての平和愛好国をふくんだ国際連合の創設は、世界政治の発展上の一転機であったと考えている。だが国際連合が奇蹟をなしとげることを期待してはならない。国際連合憲章は人間がつくったもので完全無欠ではない。国連が十分に機能を発揮するには、時と忍耐と各国の協力の精神が必要である。

中公文庫『ハル回顧録』より

 では、もし「各国の協力の精神」が失われたら、どうなるのか?
 第二次世界大戦の頃、侵略戦争を行ったのは、日本・ドイツ・イタリアだけでは無い。ソ連もだ。
 そして第二次世界大戦の末期、ソ連は勢力拡大に励み、米ソ対立は始まろうとしていた。

 一応、ハルもそのことには触れており、このようなことを記している↓

 大小を問わず、あらゆる平和的な国が平等の主権を持ち、各国が内政に干渉されない権利を持つことは、国際連合の主要原則の一つであり、ソ連も、われわれその他五十以上の国とともに、これを尊重することを約束している。これらの原則の忠実な実行は、国際的協力のために欠くことの出来ない土台であり、これなくしては、いかなる国民も、進歩することも安全感を持つことも出来ない。恐らくソ連の指導者が、他国との協力が、われわれにとっても彼ら自身にとっても利益になることを十分に理解するようになるまでには、長い時日、恐らく何年にもわたるたゆまざる努力がいるかもしれない。時にはこの仕事がどんなに困難で望みのないもののように見えようとも、われわれは十分の時をかけ、悪口をいったり、おどかしたりはせず、友好的な、誠実な、ねばりづよい態度をとりたいものである。われわれは国際連合の内部ででも、どこででも、あらゆる機会をとらえてソ連の指導者と話し合わねばならない。

 あるいはわれわれの努力は失敗に帰して、ソ連の指導者が、多くの警察国家の古今の指導者を破滅に導いたと同じような、悲しむべき過ちに陥ることもあるかもしれない。万一こういう悲しむべき事態に立ちいたった時にも、米国の指導者が、これを防ぐための名誉ある任務を怠ったなどといわれないようにせねばならぬ。われわれはどういう事態にも対処できるだけの力をそなえていなければならないが、同時にわれわれは、ソ連の指導者とわれわれが、人間の自由の価値、正義と公正にもとづく恒久平和の尊さについて意見の一致する日を目ざして、不断の努力をしたいものである。

中公文庫『ハル回顧録』より

 ハルは婉曲に記しているが、「多くの警察国家の古今の指導者を破滅に導いたと同じような、悲しむべき過ち」とは何か? 「どういう事態にも対処できるだけの力をそなえていなければならない」とはどういうことか?

 それは結局、「国際連合は尊重し、外交努力はしなければならない。しかしそれでもソ連は戦争を起こすかもしれない。だからアメリカは十分な軍事力を保持しなければならない」ということではないのか?
 それはすなわち、「アメリカは、どうしても必要な時には、ソ連と戦争しなければならない」ではなかったか? および、それがソ連以外のどの国だったとしても。


 それはもちろん、文字通りに全ての国家が、本当に国際協調的で平和主義になれば、そんなことも無くなる。めでたく全世界の平和が実現する。

 しかしそれは、『ハル回顧録』が執筆された時点では、実現するとしても遙か遠い未来の、現実から乖離した希望でしかなかった。
 だからハルは、そのような希望への道と同時に、厳しい現実への備えを、すなわちそれは戦争への備えに他ならないのだが、婉曲に唱えた。

 と、そういうことだろう。


 そして結局、国際連合設立から約80年が経過したが、ハルが記したような理想は実現していない。

 それはもちろん、これから実現する可能性はあるだろう。なのだが、80年がかりで駄目なものならば、800年がかりで実現させていく覚悟が必要になるはずだ。
 平和、あるいは理想への道は、それほどまでに険しい。と、筆者的には思う。


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