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なんにも変わってない(4/12)

・もう毎日日記でなくなっておりますが……

・最近短歌が楽しいのでそっちに時間を使ってた。あとnoteを書き出した理由のひとつにTwitterから離れたいという思いがあったのだが、再度Twitterに張り付き出して言いたいことをなんでもTwitterでつぶやいてしまっているので、日記を書くテンションがやや下がってしまった。あと物理的にもあんまり時間がない。二次創作もめちゃくちゃ漁ってるし、ジムにも行ってるし。毎日7時間弱は寝たい。

・これまでは3日後とかでもがんばって巻き返して書いてきたけど、これからしばらくは書けるときだけ書こうかなあ。本当は毎日書きたいけど遅筆だからしょうがない。


・7日〜11日の間は写真とかツイッターとか遡ってみると、短歌作ったり、5回目のザファを爆音上映で観たり、二次創作読んだり、選挙行ったり、猛烈に料理してたみたいです。もうちょっと記憶が朧げでやばい。日記書かないと本当に1日が輪郭を持たされることがないまま人生に埋没していくのを感じる。



・あと謎に山にも登ったんだった。芝生で寝っ転がって読書したいよ〜って思ってさまよったけどふつうに登ってまっすぐ降りてしまい、ただ単に登山しただけで終わった。


・ポケモンパンも買ってた。造詣の複雑なポケモンだが、がんばってシールになってくれてるね。



・自分でも恐ろしいのだが、なんと、週5でジムに行ってる。労働後にダッシュでジムに行って一日の目標である300カロリーを1時間で消化して帰る、という生活を送っている。

・正直言うと、本当に怖い。自分がこんなに毎日決まった時間に起きて、毎日しっかりご飯を食べて、毎日運動して、なんかちゃんとした生活をやっているのが、マジでらしくなく、実感が湧かない。でもこうやって毎日規則正しく過ごしているだけで、自分がなにか真人間にでもなったような気もしてる。同時に自分はこんなんじゃない!と叫びたくもある。それをさらに別の自分が俯瞰して首を傾げている。なにかに操られてるとしか思えない。もしくは監視されてる?ビッグ・ブラザーとかに。


・生活をルーティン化させて支配下に置くことに完全に成功しているけれど、それはそれで毎日を漠然と滑空しているみたいで物足りない気もしてくるから天邪鬼な自分を殴りたい。

・ルーティン化は偶然性を排除してしまうことと同意なので、複製されたような単調な毎日になるのは当たり前だ。爆速で一日が終わる。もちろん、そういう毎日に充実感というか、ラジオ体操のカードにはんこを押すようなささやかな達成感はあるけれど。端的に言えば、フラットで無菌室みたいでつまんない人生って匂いを嗅ぎ取ってしまうのかも知れないな。ただただ堅実に毎日を積み重ねることがいちばん大変なことだとわかっているのに…

・でもよくよく考えていると、今のこの時間区切りにルーティン化された生活と、少し前までやってた、好きな時間に寝て起きて昼から酒飲んで一日100歩しか歩いてねー(笑)…みたいな生活は、実際のところ一体なにがちがうのか?という気もしてくる。

・そもそも今のこの生活というのは、会社がフレックスを導入してくれてること、サテライトオフィスが徒歩圏内にあること、ジムまで自転車で行けて駐輪場が無料で使えること、などと都合のいい外部環境が寄与し偶然に重なってできているものなのだ。自分のやる気とかマインドのみで実現されたものじゃない。

・だってもし駐輪場が無料で使えなかったらわたしのジム通いのモチベはだだ下がりでこの生活はすぐに破綻していたと思う。そういう意味でわたしは結構恵まれているし、今の生活にパズルを組み合わせたような完成度の高さを感じるのはきっとそのためだ。つまるところこの今の暮らしは偶然の産物であって、わたしの断固たる意思とやらで保たれているわけじゃない。

・だから逆に言えば、一日中家に引きこもって昼から酒を飲む、みたいな道楽めいた生活に、本当の人生があると思ってしまうのは、わたしの中に深く根を下ろした破滅願望が見せる幻想だ。別に人生に本当とかって無い。規則正しく過ごそうが過ごさまいが、ちっぽけな人間が主体的に意思を働かせ自分を律し続けるのは依然難しく、環境に左右されながらなんとか生き延びているにすぎない。そこにわたしとか主体とかそういう高尚なものはなんにもないのだ。そういう意味で、わたしの生活はなんにも変わってないとも言えるんじゃないか。



・親展の意味知らないでどこまで行けるかと思うとわくわくする。

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