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喜びと 失望の 境界線

今日、山城跡を登り、その向こう側に、喜びと失望の境界線を見つけた。半世紀以上も生きてきて、それに気がつかなかったなんて滑稽だ。なんだ、そんなところにあったのか。自分とずっと付き合っているのに、自分のことがいつまでも分からない。分かった気がしているだけで、ぜんぜん見えていないのが、自分なのだ。

自分の働きが誰かの役にたったこと、自分の生きた時間が誰かの喜びにつながったとき、それが私の喜び。そんなこと、とっくに分かっていたはずなのに、心のモヤモヤを抱えたままだということすら、気がつかないでいた。

自分が活躍できないところ、自分を必要とされていないところには、何も魅力を感じない。誰かの役に立ちたい、誰かのよろこぶ顔が見たい、それがたとえエゴだと言われようが、自我だと言われようが、そんなところに私の幸せは有ったのだ。

山を登って、今来た道を見下ろして見たら、

青い空と、紅い葉の向こうに、自分の心の曖昧なで愛おしい、

喜びと失望の 境界線を見つけたよ。





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