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「縁切り死」、敢えてその縁を切る理由について、またそこから思うこと

『“縁切り死” なぜ愛する人が突然…』
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4183/index.html

昨日の夜に NHKクローズアップ現代+で放送されたこちらの番組。わたしの周囲だけかもしれませんが、話題になっています

単なる自殺とも違う。敢えて見知った人の誰もいない土地で自ら死を選ぶ。その結果、家族や周囲のひとたちにも知られない身元不明の存在となること

その死を選ぶひとが増えていることが、警視庁の身元不明人の調査に同行する形で紹介されていく番組でした。放送は残念ながら終わってしまいましたが NHK Web にそのダイジェストともいえる内容がアップされています

「増える“縁切り死” 身元不明遺体が映し出す現代社会」(NHK Web特集)
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0522.html

番組を見逃された方もぜひ読まれてみて下さい

クローズアップ現代+の番組の中では三人の識者の方がコメントをされていました。その中でも作家の平野啓一郎さんのコメントが印象に残ったという方も多かったようです

詳細は平野さんのツイッターや facebook ページにてご確認をいただきたいのですが

わたしは平野さんの番組でのコメントを聞きながら、縁切り死を選ぶのは
周囲の方を想うが故ではないだろうか?とふと感じました

いまや自分の死についてすら周囲に迷惑をかけたくないという言葉を
普通に聞くようになりました。先日もみのもんたさんがインタビューの中でそうした発言をされていました

「みのもんたの終活 焼却炉購入、社長退任、葬式やらない宣言」
http://blogos.com/outline/325628/

その内容の善し悪しはもちろん問われるようなものではありませんが、
死=迷惑」と口にすることが当たり前になってきています

そして自分の死が本当に迷惑ならばこの先、周囲にいる大切な人たちにそのような迷惑はかけたくない。そうならないようにしたい。しなければ人としていけないのではないか?

そうした想いから、誰も知る人のいない場所でひとり(自)死を選ぶ。そうすることで迷惑をかけずに済む…

そんな意味付けから縁切り死の選択をしている姿がわたしには浮かんできました

ただその一方で、縁切り死を選ぶ方がダイニングメッセージを遺しているのもまた事実のようです。番組の中で紹介された二組の例でも、それぞれ方が周囲の方にそして自分の死を処理するであろう方にメッセージを遺されていました

こうしたメッセージはまた、たとえ縁切り死を選んだとしても、この社会で本当にひとりでは死に切ることは出来ないこと。誰かの手によって自分の死が手続きされ、火葬され、そして埋葬され。またその死が最終的に伝わっていくことをそれぞれの方が解ってる故ではないかと感じました

番組は「縁切り」を前面に出していましたが、本当に縁を切り、野垂れ死ぬようなことはいまの社会では実は難しい。そんな一面も視聴者に伝えているように感じました

もし皆さんも機会があればこちらの番組をご覧になってみて下さい。なにがしら感じるところがあるのではないかと思います

デス・カフェ@東京主催。ヒトやペットの区別をしない、死別・喪失のサポート、グリーフケアのお話をしています