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#004 妹を亡くした後 幼稚園卒園&小学校入学

私の子供の頃を話をします。
妹が亡くなったのは、私が5歳の時。7月の終わりでした。

1.赤ちゃん返り

私は長女でした。ちょっと不器用で、引っ込み思案で、でも割としっかり者のお姉ちゃんだったようです。

私たち姉妹をいつも可愛がってくれてる、お向かいさん家のおばちゃんがいました。
その人は、夫婦2人とワンちゃんの暮らしで、子供はいませんでした。
おばちゃんは、きれいで、優しくて、料理も上手で。
いつもワンちゃんのお世話をしていました。
そして、私の家に来て、私たち姉妹といっぱい遊んでくれる人でした。

だから、その人は、生前の妹をよく知っています。
そして妹が亡くなった時、すごく私のことを気にかけてくれたようです。
そんな人が、妹の死後、私の様子を見て「赤ちゃん返りしたみたいに、甘えん坊になったね」と言ったそうです。
当時、私はどんな精神状態だったのでしょう?自分では分かりませんが、どうやら、長女らしい、しっかり者のイメージは消え失せ、性格が180度変わっていたようです。

2.幼稚園卒園

計算上、妹が亡くなってから半年後、私は幼稚園を卒園しています。
なぜ「計算上」という言い方をしているかと、記憶が無かったり崩れていたりで、当時、どんなふうに過ごしていたか、全然覚えていないからです。

3.小学校入学の写真

家の押し入れには、分厚い冊子のアルバムがたくさんあります。
私が生まれた時、妹が生まれた時、新築の家を建てた時、誕生日の時…。
私の幼い頃の写真がたくさん並べられていました。

でも、それは妹が生きている頃の話です。
その先は、アルバムの更新が止まっていました。

私は小学校に入学する際、写真館で両親と写真を撮りました。
でも私の入学の写真は、更新が止まったアルバムには入っていなかったので、その写真を見返すことがありませんでした。
月日が流れ、私は写真を撮ったことをすっかり忘れていました。

それが。なんのきっかけだったか。
30年以上経って、偶然、私はその写真を見つけました。
可愛らしいピンクのワンピースを着て、真新しい赤いランドセルを背負った私。その後ろにスーツ姿の父と、よそゆきの服を着る母が立っていました。

しかし。写真の中の私は、全然笑っていませんでした。
表情が曇っているというか、いや、それよりも、感情がない様子でした。

無表情。

「これが私?」まるで、知らない子を見ているような感覚です。
当時、何を考えていたのだろうか。

4.弟、誕生

私が小学校1年生の終わりに、弟が生まれました。
私は父に連れられて、病院に会いに行きました。
ガラス窓の向こうの部屋で、赤ちゃんがベッドの上に寝ていました。
産まれたての赤ちゃんというのは、なんだか奇妙な生き物に見えました。

失われる命がある一方で、新たに生まれた命。
その時、生命の不思議さを感じました。

ここから徐々に、モノクロの世界にいたぐちゃぐちゃの私の心が、普通の状態に戻っていくことになります。
ただし、それには紆余曲折がありました。
弟の誕生は、ここから始まる長い長い心の回復の道のりの一歩目でした。

5.家族構成の宿題

学校で宿題が出ました。
家族構成について書いてくるように、とのことです。
そこで私は、お父さんとお母さんを横線で繋ぎ、その下に私と妹と弟を書いて、線で繋ぎました。
妹はお空に行ったので、頭の上に天使の輪っかを書きました。
弟は産まれたばかりだったので、赤ちゃんの絵にしました。

後日、授業でこの家族構成を発表しました。
「私は5人家族です。お父さんとお母さんと、私と妹と弟です。
妹はお空に行ったので、輪っかを書きました。」

私は5人家族です。
自信をもって発表しました。
なにもおかしいことを言っていません。

しかし、同級生たちは、妹に付けられた輪っかの存在に動揺し、クラスの空気が重~い感じになりました。
悪口を言う子はいなかったけど、妹も含めて5人家族だという事を受け入れてくれた子もいませんでした。

それで、私は悟りました。
お空に行った妹のことを他人に言うのは、もう控えた方が良いのだと。
弟の誕生を喜んだのも束の間。
妹の存在を他人に話せない制限がここからはじまります。

6.その後

私が話さなくなったので、妹と会ったことのある同じ幼稚園出身の友達も、妹のことを忘れて行きました。
小学校に入学してから新しく友達になった子は、初めから私に妹がいたことを知りません。
こうして徐々に、妹の存在がこの世界から薄れて行きました。

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