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頭の中で鍵盤を鳴らせるか


目も頭も悪いが、昔から耳は良い方だった。

2歳から某音楽教室に放り込まれたことで物心ついた時には「あいうえお」と聞き取れるのと同じように音楽がドレミで聴こえる、所謂絶対音感があった。すごい人は手を叩いた音や車の音でも分かるだろうし、何ヘルツとかいう単位の話も出来るらしい(私はその単位の意味すら分からないが)。私の音感はそんなに精密ではなく、聴いた音楽を鍵盤で再現できる程度だ。それでも他人に分からないものが自分に分かるというのは不思議で、自分の音感に関しては色々と考えてきた。

中学生の音楽の授業で、耳を悪くしたベートーヴェンがなぜ作曲できたのか、それは鍵盤上の音を全て覚えていて頭の中で演奏出来たからだと聞いて、音感は暗記によるものだったのかと腑に落ちた。確かにピアノの鍵盤にない音がドレミで聞こえる自信はなかった。

美術の授業では先生が何かの拍子にこんな話をした。「虹が何色に見えるか、というのは色にどれだけ名前がついていて、どれだけそれを知っているかが問題だ。なぜなら赤と青と黄色しか色を知らなければ黄緑や橙という色を数えられないから。」

つまり見えることと認識することは別で、認識するには過去の経験(どんな色を見てそれを何色と学んだか)が必要なのだ。当たり前のことだが。そしてこれは音にも言えることだと気づいた。「あいうえお」を難なく聞き取れるのは過去に何度も聞いて発音して自然と「あいうえお」と認識できるようになったから。英語が聞き取りにくいのは過去の経験が不足していて認識に不慣れだから。なるほどね。

これは言葉にするのは難しいが、ドにはドの響きがあってオクターブが違っても同じ響きに感じる。この響きで音を聴き分けているだけなのだ。ただ絶対音感は音が聴こえる全ての人が繰り返し音を聴けば獲得できるのかというと、そうではないことも分かっている。音楽教室でずっと一緒にピアノを習っていた友達に絶対音感はなかったからだ。彼女はグループレッスンだけでなく個人レッスンも受けていたが実力は互角で、耳が良いだけ私の方が新しい課題曲の覚えも早かった。

やはり音楽のような個人の感性が光る分野では、何かしらのセンスが必要らしい。音感は響きを聞き分ける感覚、みたいなものなのだろうか。某音楽教室が幼少期からレッスンを行っているのはそういったセンスや耳を鍛えるためだったのだろう。そしてそれには個人の素質も必要になる。

絶対音感があるからといって何なのだ、と言われると特に得した経験はない。小さなプラスもあればマイナスもあった。例えば好きな音楽を耳コピして自分で演奏できるのは楽しかったし、ジャズ風にアレンジするような音遊びは楽しかった。歌のコーラス部分を聞き取ってカラオケでハモるのも楽しい。高校で軽音部に入った時にチューナーを忘れても音叉のAやだいたいの音の響きを覚えていたので自分でチューニング出来て楽だった。ピアノの課題曲もCDで予習すれば譜読みを省略できた。

ただ、その反面今でも譜読みは苦手だ。楽譜だけ渡されてハイ弾いてくださいと言われれば、ちょっと待ってね、えーっと…としかめ面で譜面を睨むことになる。合唱の伴奏を頼まれた同級生のピアノの上手な子が楽譜を見てすぐ弾き始めた時は驚いて拍手喝采した。私にとって音楽は耳から入るものであって目から情報を読み取って指先に伝達するものではなかったのだ。(一応読めるけど、あくまで補助的な存在)

それに音がドレミで聞こえることで歌のない曲でも歌があるのと同じようなものに感じる。「あいうえお」と同じようにドレミで聞こえるのだからクラシック音楽でも日本語の歌詞と大差ないのだ。私にとってBGMはほぼ存在しない。集中力をあげたいときに音楽を聴くと逆効果になってしまうこともある。(しかし聴かないと時計の音なんかが気になってしまうというジレンマ)

さらに耳が良いこととピアノの技量はまた別問題である。絶対音感があって聞いた音楽をピアノで弾けると言うと「のだめみたい!」と言われるが、全然違う。あれは天才の話だ。ショパンの幻想即興曲や子犬のワルツを想像してみてほしい。あの音の数!聞いて音が分かることと再現することが別なのは理解出来ると思う。音を追いかけることも出来ない。情報の洪水だ。頭から零れていく。どんな状態かというと、こんな例えがわかりやすいだろうか。

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この数字の羅列に意味はないのだが、これに素早くただ目を走らせて見てほしい。数字は見える、けど早口で見た瞬間読み上げろと言われたら無理だと思う。覚えて言うなんてもっと無理。メロディーと伴奏が同時に聞こえることも考えると数段同時に読むようなものだ。つまり認識したかしないかぐらいの速度でどんどん音が重なっていく。そんなたくさんの音が私のちっさな脳に留まってくれるわけもないし、手を動かして再現なんて不可能。のだめにはなれません。譜読みも苦手です。譜面から音楽が聴こえません。だから楽譜から音楽を取り込んで演奏できる人を心から尊敬します。


絶対音感があるというと色んな人に「どういう感じ?」と聞かれるので自分の感覚ではこんな感じ、というのを文章にしてみた。感覚的な話だから「なるほどー」でも「それ違くない?」でも「さっぱり分からん!」でも仕方ない。何しろ考えたのがそんなに出来のいい頭じゃないので。ちょっと人より音に関しては認識力が強いだけ。ただ、中学でベートーヴェンの話を聞いてから頭の中の鍵盤を鳴らす、という意識はある。カラオケの歌い出しは頭の中で鍵盤を叩いて「ここよ!この音!」と念を入れるのが癖になった。やはり音の響きを覚えている、というのが音感の根っこみたいなものなんだろう。こんな感じだが今後も色々と発見があったらまた書いてみようと思う。



ただの蛇足

なぜ黒鍵の音には独自の音名がないのだろうか。たぶんないことはないのかもしれないが一般的に教わることはない。ドレミの歌の「ラはラッパのラ」「シは幸せよ」をドレミで歌うと「ラーレミファソラシー」「シーミファソラシドー」だが実際は「ラーレミファ♯ソラシー」「シーミファ♯ソ♯ラシドー」である。シとド、ミとファだって半音しか違わないのになぜ黒鍵の音だけ独自の音名がないんだ!とちょっと理不尽に感じている。ピアノの黒鍵と白鍵があのバランスなのは音の位置を分かりやすくするためだということは知っているが、黒鍵に音名がないことには納得がいかない。黒鍵を聞き分けられてもドレミファソラシしか音名がないからファ♯を「ファ」と認識してしまう。これがややこしくて耳で覚えた曲を鍵盤で再現するとたまに間違えていることに気づく。黒鍵の頻度が高い曲だとそれがかなり腹立たしい。






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