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誰かの本当が見たいなら、まずは自分から

今日は不思議な日で。
あれやらなきゃ、これやらなきゃ、というのが何もない日。
誰かのために何かをしなければならなかったり、
明日や明後日のために何かを買ってこなければならなかったり、
そんなものも何もなくて、
誰からも必要とされてない日。

あなたのために自由に使っていいですよ、と突然ポンとふってわいた数時間。
こんなことは、実は十数年ぶりのことで。

逆に不安になるようなこのふわふわした時間に、何をしてやろうかと考えた。
一番好きなこと。
一番好きな場所?
一番好きな食べ物とか。
大好きな美術館に行ってみようかとも思ったけど、此れと言って見たい展示が見つからない。
オシャレする気力も、ワクワクした気持ちもわいてこない。
他になにも、やりたいことも食べたいものも浮かばない。


私って、本当のほんとは、何が好きだったんだっけ?
何が幸せだったんだっけ?

この数年ずっとカウンセリングを受けていたのだが、
その経過をnoteに書いていこうと思ってそういえばそのままにしてた。
それなら行きつけのタリーズに行ってキツめのコーヒーを飲みながらやるよりも、
最近お気に入りのデカフェを入れて、一番楽な部屋着を着て、パソコンに向かうのはどうかなってぽちぽちキーボードを打ち始める。

カウンセリングを受けるということは、
玉ねぎの皮を剥くようにゆっくりと、心の薄皮を一枚一枚取っていくことです、
とはよく言われること。
初めはその意味がまるでピンとこなかったけど、最近それがようやくわかるようになってきた。
薄皮をはぐ、とはつまり、自分の外側にあった常識や観念や思い込みを剥がしていくということ。

観念が剥がれると、今までいいと思っていたこと、正しいと思っていたことが、
逆さまに見えてくる。
例えば税金払って善良な市民でいることこそがいいことだと信じてたのに、
騙されてたんじゃないかって怒りが湧いてきたり。
学校の決めたルールに従って先生にいい点数つけてもらうことが当たり前だと思っていたのに、
ルールそのものがおかしいんじゃないかって疑問が湧いたり。
恵まれた家庭で、素晴らしい親に育てられたって感謝していたのが、
あれこそが、実は虐待だったんだと気がついてしまったり。

つまり、洗脳が解けていく。自分だけの真実に近づいていく。
一気にこれをやると、心が壊れる。
だから、それを心がコントロールして、あえてゆっくりと薄皮を剥ぐように心の治癒を進めるのだと言う。

そうやって気がついたこと、一つ一つ、カウンセラーに報告して相談しては、
アドバイスをもらってまた治療をしてもらう。
そうして、一番自分が自由になれて、自分軸でいられる心に、調整していく。
今まで切り結んだことのなかった、正常で健康な人間関係の距離感を、少しずつ獲得していく。
それがカウンセリングの主な行程だ。

カウンセラーには、「まだまだ、相手の心を読み解く方が上手ですね」と言われる。
でも大事なのは、それに対して自分がどう感じているかなんですよ、と。
そう、私は相手の気持ちを読んで分析するのが得意だ。
しかし、相手の気持ちを察すること。日本ではほとんど美徳のように語られるこの言葉も、実はアダルトチルドレンの最大の特徴だったりする。

娘の学校の先生は、何か生徒に問題行動があると、
「何が問題だったのか自分で考えて、先生のところに言いにきなさい」
と言うのだと言う。
そして子供が必死で考えて、これが悪かったあれが悪かったと自身の行いを懺悔しにいくと、
「違います。先生が怒っているのはそれじゃありません。もう一度席に戻って考えてきないさい」
と言って、そこ子だけ、答えられるまで給食を食べさせないのだと言う。

こんな学校の先生は巷にはきっと溢れているだろうし、
それをわざわざ咎める保護者もいない。
本人だって、教師としての使命感に駆られて一生懸命やっているのだろう。
だけど今の私には、アダルトチルドレンが職場で、子供相手にストレス発散していると言う側面が、ずばっと見えて胸が苦しくなる。

アダルトチルドレンは、こうやって、言葉によるコミュニケーションではなく
親の気持ちを察することを脅迫されて育つ。できなければひどい罰を受ける。
だから、自分の気持ちや本心を聞き取ることよりも、空気を読んで、相手の気持ちを察する能力だけが卓越して進化していってしまうのだ。
相手が言葉によるコミュニケーションを使ってくれるならばまだ、こちらの言い分や事情を訴える余地もあるが、
相手が空気なんでは、ただ従わされるだけだ。
そこに、自分でも理由のわからない怒りがわく。
ずっと言語レスだから、説明のしようもない。
そして自分の心の声はどんどん遠くなって聞こえなくなる。
地獄だ。


「お前のためにやってやってるんだ」
虐待をする親は必ず、そう言う。
手を上げるような親でさえ、殴っている俺の手が痛い、心も痛い、だけど殴ってやってるんだ、だってお前のためだから、
と表層、本気で信じている。
それがひとたび警察に捕まると、薄皮が一気にひん剥かれ、正体が暴かれる。
「しつけのためだった」
彼らの憔悴した言葉の真相はこれだ。
私には、どこかで彼らの言葉の裏にある欺瞞が、見えていたんだと思う。


誰かと、本当は、本当の一番深くの本音でわかり合ってみたかった。
殴ってやってるんだ、の奥にある、もっと深い悲しみや恐怖と、話し合ってみたかった。
嘘をついている自覚のないその嘘の、奥にある本音と話してみたかった。
でも多分、その願いは叶わない。
そこに向き合えた人に、私は多分まだ会ったことがないから。
私はもう、諦めかけている。

いつも私の前に怖い女性が現れて、私ととある男性との間を引き裂いていく。
男性と私との間には、それまで築いた何らかの信頼関係や友情や何かあったはずなのに、男性は保身のために、私よりも権力や能力やいろんなものを持っているその女性に味方して、そこに付き従っていく。
私は、あれ?って、その場に立ちすくむ。
そうだっけ?って、冷たくなる。
それで愛情も友情も信頼も、全部一気に、崩れてしまう。
私はこれ以外の男性に出会ったことがない。
私はもうずっと、この心の傷を繰り返している。

男なんて、人なんて全部、面倒くさいだけだ。
また誰かを信じて、裏切られるのはもうしんどい。
だったら、すべて放り出して一人になって、それから大好きな犬とかネコとかウサギとかを飼って動物たちのために働いて生きていく方が楽しいかな、って時々考える。
だけど考えると、涙が出る。
まだ本当は心の奥が、怒りのさらに奥深くが、諦めてない。

どいつもこいつもみんな、変温動物のカエルみたい。
自分の心の中の葛藤にも苦悩にも気がつかない。
自分を苦しめる相手にも、へこへこ尻尾を振ってついて行って。
どうして本心に向き合わないの?
地団駄を踏んで怒鳴る私に、私の心が笑って返す。

そう言うあんたはどうなのよ?
あんたの本心って、なんなのよ?

「大事なのは、自分がどう感じているか、ですよ。」


誰かの本当が見たいなら、まずは自分から。
だから結局それで、私の本当はどこにあるんだろう。
せっかく出来た時間に、そんなことを考えてみる。



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