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さよなら22年。

あっという間に今年もあと少しで終わろうとしている。
ここ数年、一年間を頑張ったご褒美として、年末にヒプノセラピーの前世療法を受けることが恒例になっていた。
ヒプノには、退行催眠や前世療法、願望実現、亡くなった人やアカシックレコードにアクセスするなど、いろんな種類があるらしい。
私も一度、退行催眠を選択したことがあるが、そのあと継続して受けるようになった前世療法の楽しさ、癒しの深さには、すっかりのめり込んでしまった。

施術中は催眠にかかっているので、どれくらいの時間そうしているのか正確には分からないのだが、おそらくリクライニングに寝ているのは、1、2時間。
しかし前世療法を受けたあとは、目が覚めたあとも家に帰ったあとも、夜眠ったあとも次の日も次の日も、前世の記憶がなぜか、子供の頃の思い出をふと思い出すように次つぎに補完され更新されて行く。
その度にまた自分の悔しさや苦しさが蘇り、確かにそうだった、と抑えがたい涙がこみ上げる。
そしてその学びが、やり残した後悔が、崩折れた課題が、時代や形を変え登場人物を入れ替えながら、
今生きている自分の人生にもう一度投影されていることに気がつくのだ。
前世療法を重ねるたび、いくつもの前世の記憶が確固たる信念となって立ち上がり、頑張ってくれ、今度こそ自分の無念を晴らせ、自分と同じ間違った道を選ぶな、強くなれ、と私の背中を押してくる。
最強の応援団となって、私の中に蘇ってくる。

今年もきっとそれを受けに行くだろうと、漠然とヒプノ貯金を貯めていたのだが、数ヶ月前に先生から
今年でセラピーを閉じることにしたとご連絡をいただいた。
落ち込んでいる暇はない、慌てて他の先生を検索してみたが、どうもどれもピンとこない。

カウンセリングというのは顕在意識に浮上してきた問題を一つ一つ向き合って、クリアしていく行程をたどる。
見たくないもの、スルーもスキップも許されない、前に進みたくてもどかしくても、そこにとどまり時間をかけて根治し、
自分の内に浮上してきた全ての課題の掃除を、隈なく終わらせて行く。
ヒプノセラピーはそれに対して、その瞬間に潜在意識が選んだ一つの課題をフィーチャーし、一回の施術で一気にその課題を、癒しにまで持って行ってくれる。
人生の根本的な治癒や課題の一掃にはならないが、カウンセリングの苦しさに比べて癒しを得やすく、圧倒的に優しい華やかさがある。

本当は今年も、やりたかった。
しかしきっと今の自分に必要なのは、ヒプノセラピーのくれる優しい癒しではなく、もっと地道で正確で鈍重な解消だ、という潜在意識の導きなのだろう。

振り返ると今年はいろんな変化があった。
新しい人生が拓けたわけでもないし、転職や引越しのような、外側からパッとわかる人生の転機を経験したわけでもない。
しかし、私の内側ではこの数年をかけて、誰にもわからないほど静かに、大きな変化が進行していた。
大きすぎて動いているのが信じられないほどの巨大な歯車が、水面下で回り続けていた、その歯車の動きが積み重なったことで、ついに見える景色が変わってきた、とでも言えばいいのか。

実は先日、親から絶縁状が届いた。
潜在意識というのは恐ろしいもので、私の中の大きな変化がもうどうにもならないところに達したことをどこかで察したからこそ、
両親はいてもたってもいられなかったのだろうと思う。
自分で勝手に私の日常に踏み込み、よせばいいのにわざわざ粗探しをして、勝手に怒り、勝手に挑発して、言い返されたら激昂し絶縁状を叩きつけた。さらにさらにと自分で自分を苦しい立場に追い込んでいく。
まるで犬が自分の尻尾を親の仇のごとく追い回して遊んでいるのを見ているようで、私は不思議な気持ちでそれを傍観していた。
ずっと自分は、こんなところに巻き込まれていたのか。
古びた乱暴な洗濯機が音を立てるのを、どこか遠くから眺めているような。
もう、苦しみを引き受けてとにかく現状をなあなあに丸く収めようとする生き方を、私はやめることに決めたのだ。
決意は揺るがない。

私たちは間違ったものを恐れていただけだ。
「私は自分が自分でいられなくなるくらいなら、死んだほうがマシである」と覚悟を決めてしまえば、苦しい苦しい大変だ大変だと言いながらも、笑みがこみ上げてくるものだ。魂が喜んでいるのだ。

行かれなかったヒプノの代わりに、結局、カウンセリングを2つ申し込んだ。
絶縁された、という盛大な変化を、カウンセラーの先生はどんなふうに喜んでくれるだろうか、と思ったら、
「ずっとご主人に向いていた怒りがようやく、本来の怒りの対象に向かった、
これってすごいことなんですよ。自分をたくさん褒めて、何かご褒美を買ってあげるレベルです」
先生はそう言ってニコニコした。
怒りの矛先が、正しい方向に向いた?
確かに褒めてはもらえたが、ちょっと褒められポイントが斜め上だった。
正直私にはその意味がまだ、イマイチぴんと来ていない。
とにかくまあ、大きな分岐に到達したということなのだろう、今年の成果として素直に喜んでおく。

そうはいっても、最終到達点であるトラウマまでは、まだまだ達していない。
スッキリとしないゴリゴリした塊が、身体の奥底に凝り固まっているのを、はっきりと感じる。
2022年の始まりには、今年こそトラウマまで行くぞと張り切っていたのに、結局今、年の瀬になってまだ自分はここにいる。
2023年も、今年こそはトラウマまで行くぞ、ってきっと年始に同じことを思うのだろう。
私が弱音を吐くと、
「それだけ、トラウマっていうのは到達するのが大変なんですよ」
と先生は言った。私はいつものように、そうなんですね、でもやります、絶対に、と答える。
たとえ2024年の年始にまた同じことを言ってたとしても。私は必ず、たどり着いてやると決めている。
編み物を始めた時は、くるくると丸まった変な棒みたいなものしか出来なくても、
それにめげず編み続けるとそれがやがて、一枚の布のように見えてホッとするのと同じように、
私は今、ちゃんと自分の望んだ道を前に進めていると、自分の歩んできた長い道を振り返る事ができるようになったから。

瞬間、あれ?と思って慌てて先生から目をそらせる。先生の目に、うっすらと涙が浮かんでいた。
カウンセラーの事情はよく知らないのだけれど、 カウンセリングを受けていると時々、きっと感情や動揺を患者に見せないことは、
カウンセラーの鉄則セオリーなのだろうと感じることがある。
先生は私の発言に対してどんなときも、取り乱したり怒ったり驚いたり否定したりすることは決してない。
その先生が、ごくごくたまに、泣いてしまう事がある。
そんな時はいつもびっくりして、それから私の奥から何か熱いものがこみ上げる。
アダルトチルドレンからの回復は壮絶だ。
その過程をかつて自分も経験してきたからこそ、その道を通った同士にしか分かれないものがある。

中学生に上がった息子は、昔のように可愛く懐いてくれることはなくなったが、代わりに時々、学校での出来事を、ポツポツと話してくれる事がある。
先日もそんな話をしていたら、私の感想を聞いた息子が突然私に、
「なんだよ、昔と別人じゃねーかよ」と言って、何かに弾かれたように急に昔の話を始めた。
息子が小学校6年の時、中学受験のために通っていた塾を、小6の夏期講習の途中で突然、辞めたいと言い出した。
「あの時、俺になんて言ったか覚えてる?」
息子が、いい中学に行っていい高校に行って、、、って当たり前に続くと思っていた道から外れていく恐怖と、
私が生きてきた道、何度も疑問に思い、自信をなくし、憤慨し、迷ってそれでも選択し、そうやって澱のように溜まってしまった観念。
カウンセリングを受け、少しずつ変わっていく中で、それらから逃げ出そうと必死に戦っていた時期だ。
息子は結局、そこで中学受験を自分の意思でやめた。
そのとき私は確かに必死で止めたのだが、具体的になんと言って止めようとしたのかはもう、覚えていない。
「あん時はマジで、殺してやろうかと思った」
私のその時の暴言を再現した息子は、そう言った。

どうして私は、自分が何の仕事をしたいか、見つける事が出来ないんでしょうか。
カウンセリングで私は先生にそう聞いた事がある。
先日も、あまりに夫に頭に来ていよいよ家を飛び出してやろうと、夜中にずっと、こんな自分でも今すぐ出来る仕事を探して携帯をいじっていた。
しかしどんな仕事も、とても自分に出来る気がしない。一歩を踏み出すのが怖くてたまらない。
私の話を聞いていた先生は、
「今まで自分のことを一度も自分で決めたことない人が、何かを自分で決断するっていうのは、怖いんですよ」と言った。
私はぎょっとして固まる。
「え、私、今まで自分のことを自分で決めた事、ないんですか?」
動揺する私に、
「何か自分で決めた事、あります?」
いつもの柔和な笑顔で、先生が畳みかける。
子供の頃は、すべて母が決めた通りのことをしていた。そしてある年齢になったら今度は、怒られないために、面倒くさいことにならないために、
この決断を母はどう受け取るだろうか、こんなことしたらなんて言われるだろうか、って母の思考を先回りする、
それが当たり前になっていた。
念願の大学生になったその昔、憧れのアルバイトなるものをしてみたい、と思ってバイト雑誌を買ってきた。
当時は携帯でバイトを探すなんてものはなかったから、分厚い雑誌の中に、所狭しと名刺サイズに散りばめられた膨大な種類の仕事の中から、自分の条件にあった仕事を探す。
しかし仕事は無数にあるのに、どの仕事も、こんな仕事をすれば母になんて言われるか、という恐怖が先に立って選べない。
私に選択できそうな仕事は、結局分厚い雑誌の中のほんの見開き1枚もないと気付いた時は愕然としたものだ。
進路だって部活だって自分の結婚式で着るウェディングドレスだって、思えば全部、母が決めたものだ。
そして、こうやって自身が頭の中で母の気持ちばかり考えているその状態が、「異常だ」と自覚できるに至るまでには、さらにたっぷりと時間が必要だった。

親の一言一言が、自分が自分でいられなくなるほどの洗脳となって人生を左右させる。
私のせいで、息子が自分の指針を見失い、自信をなくし、人間関係に悩んだり自分をうまく肯定できなくて試行錯誤、もしかしたら一生味わう必要のなかった苦しみを、これまで経験してきたことを私は知っている。
ごめんね。それを言ったのは事実だけど、あの時は君が道から外れて行くのがただ怖くて、なんとか引き止めたくて言ったことなんだ。
言ったことは事実だけど、その言葉の内容を、まともに受け取らないでほしい、それが本当のことだとは決して思わないでほしい、と話した。
「一生、許さない」
息子は鮸膠もなくそう言った。

当たり前だ。
誰でも、一つの間違いも犯さずに人生を生きることは不可能だが、少なくともその苦しさを、そうやって誰かに人生を狂わされる悔しさを理解できるようになった今、
心の底からどうしようもなく申し訳なさがこみ上げる。
涙が溢れてしまって、気恥ずかしくて、息子に向かってふざけて土下座している私の上に、下の娘が、
「なに土下座なんかしてんのー」
わざとおちゃらけて飛び乗ってくる。
彼女は私と同じくらい繊細で空気を読むことに長けている。そしていつでもこうやって、家族の優しいムードメーカーを引き受ける。

最初から、神がかって素晴らしいものしか持っていなかった子供たちを、ああでもないこうでもないってこねくり回して。
親というのは、いつでも必死で空回りしているだけの、大バカだ。
私が虐待のサバイバーだったから、教育虐待の被害者だったから、だから子供たちに何をしても許されるということには断じてならない。
だからこそ、この虐待の連鎖は、ここで必ず断ち切ってみせると決めたのだ。
どうか、君たちは自由に、その素晴らしい人間性をいっぱいに世界に広げて行ってほしい。
彼らに、心からの敬意を。

一生許さない、と言った息子からその後、ラインが来た。
「こういう曲、絶対好きでしょ」って。

どうして彼らはこんなに賢く、美しいのだろう。
息子に言った。
周囲の友達が受験に向かって無条件に走っていくあの時期、この頭狂ってる母親に楯突いて、自分の意思で塾を辞めると決め、実行した。
それは、君が小学4年で英検準1級に受かったことなんかより、ずっとすごいことなんだよ。いつかその意味がきっとわかる、と。
いつかきっと、本当にその意味がわかる。
だって世界は、こんな私に対してでも決して見捨てることなく、こんなにも優しいのだから。

今日は、夫と子供たちが、夫の実家にお泊りに行くのだという。
私は今日、この家に一人留守番をして、夜一人で眠る。
どうしてそんなことにこんなにドキドキしているんだろうかと思ったら、
実家から、一人暮らしすることなくそのまま結婚してしまった私は、(夫が昔、どこかの女の家に無断外泊して、期せずして一人で眠ったことを除いて笑)
実は一人で眠ったことが、生まれてこのかたないことに気がついた。

夜は好きなレストランにでも行って、好きなものを食べて、ついでにデザートもつけちゃおうかな。帰ってきたらのんびりお風呂に入って、
好きな本を読もうか、YouTubeとか見ようか、子供たちがいると怖がるから見れない怖い映画でも見てしまおうか。
そして明日は、今年初めて知り合った陰謀論者のお友達と、ランチに行くのだ。
わくわくするではないか。

もう、誰かと心を通わせることなんて、とうの昔に諦めていた。
だけど、自分の首に絡まった紐を少し離れたところから見てみると、
それらが蜘蛛の織り成した立派な巣のように、美しい幾何学模様を描いているのが見えてきて、息を飲む。
そのところどころで出会った人たちと小さく心の琴線が触れた繊細な音に、はっとさせられる。

これから起きるかもしれない楽しいことを想像してみる。
まだ見ぬ仲間と、まだ会えぬ自分の意外な能力を発揮しながら、働き、考え、試行錯誤し、何かを創り、誰かを笑わせ、時に誰かに感謝されることもあるかもしれない。
誰かと、今その人と私にしか分かり得ない深い深いところでピン、と静かにつながりあって、しんと感動して、そして元気をもらってまた次のフェーズに向かって行く。そんなふうに生きている、自分の時間を想像してみる。


さて、そろそろ出かけるとする。
デザートは何を食べようか。

来年こそは、トラウマをクリアしてみせる。
皆様もどうぞ良いお年をお迎えください。


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