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いま改めて考察する「カードキャプターさくら」

アニメ・カードキャプターさくら が当時BSだったか地上波だったか記憶が曖昧だが、そのさくらと同じ歳の頃だった少女時代、当然のように私はそれに夢中になった。初めて自分で買った漫画だった。
見ている子は結構居て、クラスであの衣装が可愛いとか、歌が良いとか話した。さくらと同じローラースケートをねだり、母が調べてくれ、インラインスケートだろうということで、それを買ってもらった。バトンもした。

いまその熱が再熱している。クリアカード編の影響だ。
しかし今になってネットの周りを見渡すと、男性向けの作品と思ってる人も多い。当時の特集番組でも、そんなことを言っているようだった。
もしかして、自分の周りだけCCさくらが好きだった…?
自信暗鬼になったのだが、それは少し前にアニメの監督が「少女から支持を受けた」とおっしゃっていた言葉で安心した。

そう、支持をしていた大半は少女、という作品だったと思う。でも当時の少女の声がネットで大きくなるのは少し時間がかかった。そして語りだすきっかけを作るまでに、ざっくり18年~20年くらいかかったのだ。

当時を振り返り、大人になった言葉で、CCさくらの魅力について考えてみたい。

◆衣装デザイン
小学生ともなると変身シーンに違和感を覚えていた年齢なので、いちいち着替える。それも毎回違う可愛らしいデザインが、妙に現実感があり心をおどらせた。普段生きていても絶対に着ることは無いだろう衣装を、とても可愛く着ることのできる木之本桜に憧れた。
私服も可愛くて、木之本桜の持ち物すべてが可愛い。ペンケースにシャーペン、ハンカチ、髪飾り、バッグ。どれもその辺には売ってない可愛さがあった。部屋の中からパジャマまで可愛いのだ。
また、扉絵などの可愛さも絶品だ。1ページをじっと眺めていた記憶がある。それを思い出したのは、クリアカード編の扉絵をじっと眺めていたときだった。

◆魔法の詠唱
「闇の力を秘めし鍵よ。真の姿を我の前に示せ。契約の元さくらが命じる。レリーズ」
厨ニ全開だ。でも当時は「さくらちゃんは何故難しい言葉が言えるの?英語が読めるの?かっこいい!」と思っていた。様式美でもある。
他にも、周りにハートや音符がぷかぷか浮くような魔法では無い、線で書かれた魔法陣も、かっこいいと思った。魔法陣が描かれたシンプルでゴテゴテファンシーでは無いデザインのグッズが、なかよしの付録についていた。それも他作品に比べて特徴的だったと思う。

◆登場人物の家庭環境
木之本桜は母親を亡くしている。なので家事を手伝っている。それも苦労している風ではなく、そうするのが当たり前の環境で、父と兄と支え合って生きている。
大道寺知世は超お嬢様だが、家族と会える時間は少ない。それでも母親を理解して、母親も娘のことを本当に想っているのがよくわかるのだ。
小狼は、家の命令で単身日本に来ている(原作設定)。寂しいだろうが、信念を持ち自分のことは自分でする。努力家なのだろう。
みんな、良い子なのだ。反面自分はどうだろう…。キャラクターのようにしっかりしなければ…!と、作品世界の子供に強い憧れを持ち、それを思い出しては時々家事を手伝った。
主要人物の構成は片親が多いのに、大人になって気付く。
そういえば、片親世帯が増えはじめたころの作品だったのではないだろうか。平成に入ってから(というかバブルが崩壊してから)それが増加したという表があるので、かなり狙った設定だったのかもしれない。
周りにもそういう子供が居たし、それは自分も例にもれずだった。シンパシーを抱いた。
警察に捕まらないレベルでグレずに来れたのは、CCさくらのおかげと言ってもいい。

◆優しい友達
個性的で、見た目も性格も全然違って面白い。
そしてクラスメイトはみんな、友達想いなのだ。
嘘をつく山崎くんですらも、人を傷つけることは言わない。
そして相手のことを思いやり、相手の個性を尊重し、奈緒子のような趣味を否定することは無いし、知世のようなお嬢様を「これだからお嬢様は」と貶すことも無い。
女の敵は男の漫画もあるが、少女漫画で一番多いのは女の敵は女展開だ。
さくらにはそれが一切ない。小さな格差が無いのだ。理想的である。

◆偏見の無い愛
さくらは、年齢の離れた高校生の兄の友人が好きだ。
小狼も、その雪兎のことを好きになる。
ここで「ん、あれ?」という展開にならない。さくらは小狼の気持ちを知っても「好きだからしょうがない」と片思い仲間として受け入れるのだ。
さらにさくらは、雪兎が人間ではないと知っても自分の想いを告白する。
振られるが、その理由が兄である。この辺もさくらは分かっていて、受け止める。
知世がさくらが好きで、小狼を応援するのも印象的だった。
子供心でこの辺の凄さが分かっていたかというと、それは違う。
ただ受け入れていたし、これが多分フィクションなのだろうということも理解していた。
こうなればいいのにな、と素直に思ったのだ。
LGBT教育は今でもさほど進んでいないと思うが、男はこうで、女はこうで、と決めつけられる時代では無くなった世代に生きていると思う。ランドセルに何色を選んでもよくなっていた時代だ(まぁ黒と赤しか背負ってなかったけど)。
この木之本桜の感覚が、妙に自然に受け入れられた。
知世の失恋は「女だからではない」と今でも思っている。知世が男でもさくらは小狼を選んだと思う。そういう描き方をしていた。
それと、この話で言及しなくてはいけないことが利佳ちゃんと寺田先生である。
これは少女漫画だもの。教師と生徒が恋愛関係になってるのは最早お決まりである。
ただこの二人が素敵だったのは、秘密を隠し通していることだった。そして寺田先生には決意がある。プラトニックは、こういう部分が大切だ。

この部分はCLAMP作品全体にも言えることではないだろうか。
自然に、なにごともなかったかのように、周りもとやかく言うこともなく、愛が作られている。必然と運命論がなせる業かもしれない。
優しい友達も含めて、綺麗事と言われるかもしれない。
でもそこがある意味でロックな部分でもある。
だから、今読んでも強度がある作品になっている。今、続編を作っても、異色さがある。

◆木之本桜という人物
もう書いたように、この子は人間が出来ている。しかも可愛くて純粋だ。料理もできる。
しかし「ぽややん」としているので(苺鈴談)ドジもするし算数も苦手だ。等身大の女の子として描かれる部分もあり、最終巻で泣きながら千春や利佳にアドバイスを貰うシーンは心が痛い。
もう好感度MAXなのだが、さらに並外れた運動神経を合わせ持つ。運動の出来る小学生はモテるのだ。男でも、女でも。作中でもさくらは皆から愛される。
木之本桜にいたっては少し少年らしさもあるのかもしれない。快活で、意外と頼りがいがある。少年漫画の主人公でも通用しそうだ。
さらに、原作では史上最強の魔術師になる。可愛さでも最強。力も最強。
この辺は好みがあるのかもしれないが、さくらが嫌いでCCさくらを読む人も滅多にいないだろう。
ジャンプ主人公とですら戦えそうな最強主人公ヒロイン。
『力の強いものはいろんなものを惹きつける』とすると、憧れるのは、もう仕方ないことだった。


アニメを省いて語ってみたが、アニメも音楽やアニメーションが素晴らしかったりする。
脚本原作者という点も含めて、CCさくらの「完璧な世界」を壊さなかったのが大きい。
どこかに問題があると、この完璧な世界は簡単に崩れ去ってしまうのが今なら分かる。
もしエリオルが悪人だったら、この世界は壊れていた。
真の悪人を出さずに物語を作るのって、本当に難しいことではないだろうか。
そして、完璧で優しい世界だからこそ、「愛がなくなる世界」が本当に恐かった。
そこに夢中になったのだと、今なら言葉にして書くことができる。

クリアカード編は、懐かしさと新しさがある。でも完璧な世界は崩れずにそこにある。
それがとても嬉しい。
心の中に、いつもあの完璧な世界があって、作品と一緒に純粋な心を思い出すことができている。大げさじゃなく、影響を与えて助けてくれた作品だ。

クリアカード編クリアファイルが、セブンイレブンでお菓子を買うと貰える時代に生きてて良かった。感謝。

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