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「クソ喰らえ、クローン病!」第6話~己の足を愛せ

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 クローン病は大腸などの臓器以外にも、予期せぬ場所に苦痛をもたらす。こいつが俺にブチかましてきたのは予期せぬ右膝の関節痛だった。数週間ベッドで寝たきりで過ごしていたことは何度も書いているが、ある時からトイレへ行くために歩く際に痛みを感じ始めた。右膝の関節で熱い、弾けるような苦痛が疼いた。最初の方は微かなもので我慢できたのだが"これはちょっとまずいかもしれない"と予期してすぐ、痛みは加速度的に熾烈なものと化していった。
 俺の部屋は2階にあるので、下痢をするたびに1階のトイレへ向かうため階段を下り、下痢便噴射が終れば階段を上って部屋に戻る。この行為自体は日常的な行為だった訳だが、関節痛によってこの風景すらも一瞬で劇的に変貌してしまった。真っ直ぐな道を歩く時はまだいい。だが階段を踏むたびに、関節が痛みとともに軋んで身体のバランスが崩れる。ゾンビも斯くやの悲惨な歩き方を晒す羽目になる。腐ってんのかよ俺の肉はって感じだ。だが階段を上る時は更に惨めだ。痛みが強烈さを増して二足歩行すらできなくなり、四つん這いになって力を分散させながらじゃないと進めやしない。俺の尊厳は既に地べたに落っこちてクソ塗れだと思っていたが、ズドンと落ちる余地は未だ無限に残されている。日常を生きる過程だけでも悲惨の可能性は本当に果てしがない事実を、俺は日々魂に喰らわされ続けている。
 寝たきり状態で日々を過ごすと人生それ自体が停滞していって、何もかも全てが厭になる。これは精神の腐敗以外の何物でもない。ここにおいて歩くという行為は本当に重要だ、自由に動けるということは生き続ける希望に直接繋がる。だがクローン病は腸全体を炎上させ人から生きる気力を奪いながら、この歩くという希望をも関節痛や関節炎によって奪い去ろうとするのだ。何故に腸の難病が関節痛に繋がるのか全く理解し難いのだが、なるほどコイツは本当なかなかの残虐性だよ、怖くて肛門から下痢便が漏れちゃうね……いや、そりゃいつものことか。
 だがだ、こういった風に一時期は関節痛で深刻なまでに苦しんでいたのに、病院へ行った際に医師から処方された痛み止めカロナール錠を飲むと、6時間後には収まった。そして朝昼晩とキチンと飲み続けると、跡形もなく消え去ったんだった。そして今に至るまであの関節痛は一切感じていない。本当に驚かされる。あの熾烈な苦しみは一体何だったんだ、海に浮かんでいた蜃気楼でしかなかったのか。こうもアッサリと消えられると、己の憤怒や憎悪をどう処理していいか分からない。苦痛に嘲笑われ"何、ムキになってんの。クソして寝ろや"と言われてる気分だ。そして俺は人体の奇妙さに思いを馳せざるを得ない。
 という訳で今は家のなかを苦痛なしに歩くことができている。それなのに、未だに外へ出ることはできないでいた。腹痛と下痢の激発を恐れているのはもちろんだが、あの関節痛によって歩くことへのトラウマをも植えつけられた感覚があるのだ。俺にとって外を歩くことは創造の源でもあって、家の周りを気ままに歩いていると小説のアイデアが浮かぶことがよくあった。そして歩きながらそのアイデアに関して思索を深めるうち、他のアイデアと繋がっていき、頭蓋骨の内側で物語が紡がれていく実感があった。だからこそ俺にとって歩くことは重要だった。だが今や外を歩くどころか、外に出ることにすら躊躇いを覚える。
 1回だけ外に出ようと試みた。勢いのままにだったから真昼間にパジャマとジャンパーで出ようとした。その服装を両親から注意され、というか窘められて、驚いたことにこれだけで俺の心は折れた。一気に惨めな気分になって、嗚咽すら零れたんだった。結局お前らは自分の体面しか考えてないんだろ、難病に苦しんでる俺のみすぼらしい姿を隣人に見られることが怖いばかりで実際は俺のことなんか少しも考えちゃいない、そうだろ、そうだろ? もちろん実際には言っていない、心のなかで毒づいただけだ。それでも自然と生ぬるい、3日放置していた風呂の水くらい汚い涙が流れてきた。さすがに瞳からひねくれた陰毛が零れるとかはなかったが、涙のしょっぱさには吐き気を催した。そして俺は2階の部屋に逃げ帰り、ずっと引きこもった。そこまで俺の心は壮絶に脆くなっていた。むしろ心の形を保てているのが不思議なほどだった。
 このトラウマは未だに克服できてはいない。今考えるとこれは俺の、俺自身の身体への信頼の無さが関係しているかもしれない。運動神経は最低レベルで、それでも身体を動かすことを楽しむ余地は幾らでもあったと思うが、学校における体育の授業がそれを完膚なきまでに破壊し尽くした。体育によって俺は和解し難いまでの身体への不信を培う羽目になる。エピソードは無数に存在するが、ここでは足に関するものだけについて書こう。真っ先に思い出されるのはバスケの授業だ。まず最初に生徒はドリブルをしながら歩く方法を学ぶだろうが、俺はここから躓いた。手を動かしながら、足を動かすことができない。そしてドリブルをしないで2歩以上歩いたらルール違反だが、俺は呼吸するようにこの違反を犯した。その時、俺の足は俺のものではない。抑制を失った暴走械機でしかなかった。その度に体育教師に注意される、こんなことは当然のようにできる他の生徒に嗤われる。俺は自分の足を憎んだ。そして予想できるだろうが足は遅かったし、スタミナもなく、筋肉は微塵も存在しない代わりに贅肉はブノョブノョと纏わりついていた。そしてこれは体育とは直接関係ないが、俺のスネ毛は凄まじく濃密で、そこらの暗黒物質では太刀打ちできない強烈な黒を誇っていた。これを他人に見せるのは、思春期の俺には酷だった。短パンを履くのが苦痛だった。思春期に人間の肉体は劇的な変貌を遂げる。これを乗り越えるには、自分の肉体を受け入れられるほどの愛が必要だった。俺にその愛は訪れなかった。いや正確に言えば、訪れるなど夢にも思わなかったから最初から諦めていた、努力以前の問題だった。振り返って心を包むのは、肉体への忌避感とほのかに苦い憎悪だけだ。足に対しては殊更この感覚が強い。
 そんな俺から1つ伝えたいことがある。1度トラウマを植えつけられると、その傷は容易く癒すことができない。歩くこと、歩けることは人生において重要だ。だから足や関節は常にケアしておいた方がいい。まずこれが大前提だ。しかしそれでも俺のように突然クローン病と診断された挙句、そのクローン病の影響で関節痛に襲われ、歩くことと苦痛が同義になる状況に追いつめられる時がある。それは日々の小さな積み重ねとしてのケアを、えげつないまでにアッサリと吹き飛ばす可能性がある。それでもなお、積み重ねてきたケアは治癒と再生のための基盤となるはずだ。そのケアのなかで培われてきた自身の肉体への愛は、そう簡単に消し去られることはない。俺にはこの機会は失われた、悲しいよ。

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【済藤鉄腸のすぐに使わざるを得ないルーマニア語講座その6】
Plimbând pe drum, m-am scăpat pe mine. Este normal pentru oameni cu Boală Crohn, așadar m-am obișnuit cu asta. Aș dori să mă scap pe mine mai mult și de acum înainte.
プリンブンド・ペ・ドルム、マム・スカパト・ペ・ミネ。イェステ・ノルマル・ペントル・オアメニ・ク・ボアラ・クローン、アシャダル・マム・オビシュヌイト・ク・アスタ。アシュ・ドリ・サ・マ・スカプ・ペ・ミネ・マイ・ムルト・シ・デ・アクム・ウナインテ。

(歩いている途中にウンコを漏らしました。クローン病患者にはよくあることですので、慣れました。これからもどんどんウンコを漏らしていく所存です)

☆ワンポイント・アドバイス☆
例えば他人に対する願望や決意表明を示したい時は"Aș dori să 動詞~"という構文を使うよ。上の文章よりももっと実用的なもとして"Aș dori să merg la toaletă"("トイレに行きたいのですが"/"アシュ・ドリ・サ・メルグ・ラ・トアレタ")という文章が挙げられるよ。"そういうの洒落くせえ、ウンコがしたいんだよ!"というなら"Vreau să iau un rahat!"("ウンコしてえ!"/"ヴレアウ・サ・ヤウ・ウン・ラハト!")と叫ぼう。そう言われたルーマニアの人の中じゃ、君のことは永遠にウンコとともに記憶されるだろうね、良きにしろ悪しきにしろ。この文章自体はクローン病患者として、それでも誇りを持っていきてやろうと思えた時に言ってみよう。空元気のユーモアに、ルーマニアの人の目にも涙。


私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。