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患者として好きになれない医師に会った

恒例の健康診断。眼科検診を何の気なしに受けに行った。ベテランの医師がこの春から久しぶりの常勤として着任した。

「はーい、いいですよ」と形式的なハンコがもらえて終了〜!と思いきや、「ちょっと、電気消して」とお付きの者に指示し、やけに診られる時間が長い。

検診からの後日の診察を経て、にわかに信じられない展開に追いつけない。

「……こ、れ、ねぇ。手術した方がいいよ」
「緑内障発作になればぶっ倒れます」
「心配症みたいだから、今日はこのくらいにしとこうか」
「うつむかないで。危ないから」

???
募る戸惑い、本当にそうなのか?という思い、要は不安…。確かに心配症だけど。

字面にすると伝わりにくいが、よく言われる、
「物は言いよう」。

私自身も、もう歳を取ってしまったからか夫以外誰も注意してくれなくなったが、若い頃は時々勇気を出して忠告してくれる人がいた。

「言い方だよね。キツイよ。気をつけて。ホントのことをそのまま言い過ぎ。言えばいいってもんじゃない。」

まだ会って間もない相手から、次々と不安を増幅させるような説明と早い展開。自覚症状は老眼が進んで視力が落ちた、くらいしかないから、余計信じ難い。

「そうだ!地元の先生に聞いてみよう!」

家族全員が何かあればそこに行く、という昔からお世話になっている開業医に行ってみよう。そこでも同じ見解か聞いてみよう。

「薬剤師さんしてるんだっけ?で、こういう事情で。うんうん。じゃあ診てみよっか。」

「なるほどなるほど。その先生の話は、嘘じゃないよ。確かに、そういう眼ではあるんだ。」

「うんうん。なるほどなるほど。」と同調してもらえるだけでこちらの気持ちも和らぐ。それでどれだけ安心することか。

「写真で見るとね、こういうわけ。確かに、前房が、浅いよね。遠視系の眼なんだ。」

説明用の冊子と今撮った写真を見せながら、自分の眼がどういう状態か説明してくれた。ちょっと難しくて分かりにくい部分もあったけど、資料を見せながら丁寧に説明してくれたので、安心するし、納得できる。

「いろんな考え方があるからね。僕だったらどうかな、定期的に経過を診るかな、何かあればすぐに受診してもらうということで。…あぁ、そうなんだ。そういう事情なら、もう少し早めに次の検査しようか。」

昔からだけど、優しい。会話が双方向で、自分から話す時間が自然にできる。

コミュニケーションの大切さを痛感した。同じ事象について言われるのでも、説明の仕方によって随分患者の気持ちは変わるということを自身で体験した。

こっちの先生にお世話になろう。早めの再診を指示されている最初の先生への対応方法も、地元の先生にアドバイスもらって、と。

改めて考えると、まだ何も自覚症状もないうちに見つけてくれた最初の先生には、感謝の気持ちしかないことに気づいた。
…けれど、どうしてもその先生に自分を委ねる気持ちになれない。要は、どうしても好きになれない。要は、医師にありがちな(固定観念かも)高飛車な態度が大嫌いなのだ。(あぁ、言っちゃった。)

申し訳ないけど、地元の先生にあとはお願いすることに決めた。

コミュニケーション方法によっては顧客が一人増えたり減ったりする可能性があるということを感じた次第である。

私自身も患者さんと接する機会は多いから、今回の経験を参考に、益々襟を正していきたい。

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あんまりネットであれこれ調べるのは好きじゃないけど、信頼性の高そうなサイトの説明では…

閉塞隅角症

「最も多いのは中高年の遠視の女性です」

私のことじゃないか!ドンピシャじゃんか!…そりゃ、仕方ないか。

昔から視力が良いのが取り柄、だったはず。ずっと1.2や1.5くらい視力があって、メガネもいらず楽だったのに。

「たまたま眼科に行かないと見つからない、もしくは急激に眼圧が上がる急性緑内障発作になって見つかる」

やっぱり最初に指摘してくれた先生にはありがとうしかない。
けど、大嫌い。

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