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「きょうだい児として生きて来て」

私は、生まれた時から「きょうだい児」として生きて来ました。姉が知的障害者です。
姉は、3歳の頃からやまゆり園のような形態の施設に入所し、そこで暮らして来ました。
私の両親は、戦前生まれで、家に障害者がいることは恥だと感じていたと思います。両親にとって初めての子が障害者であると分かった時は、夫婦で頭を抱えたそうです。両親は、悩んだ末、幼い姉を施設に入れることに決めたそうです。当初は罪悪感もあったようですが、50歳を過ぎた今、姉は施設での生活が当たり前となりました。盆正月を始めとして年に何度か自宅で数日過ごすことと、月に一度の面会日に母が会いに行くことが楽しみになっています。持病が出て、日常から注意しながら過ごさなくではいけなくなった現在では、年老いた両親や、他で家庭を持つ私より、プロである施設職員のみなさんの方が、姉の体調管理をしっかりサポートしてくださっています。今では施設にお世話になっている方が安心な状況です。
私は、姉がいることを隠して生きて来ました。友達同士で聞き合う何気ない「きょうだいは?」という質問を負担に感じていました。
知的障害があると言っても、全く何も分からない訳ではありません。性格があります。家族のこともよく分かってくれています。喜怒哀楽だってもちろんあります。優しい姉です。姉が障害者であることは何の罪でもありません。
ただ、世話がかかるのも事実ですし、自立は難しいです。後期高齢者となった親が、姉の入浴や排泄の世話をしています。情けない思いもしているでしょう。残り時間が永遠ではないことが私や両親の中に漠然とした不安となっています。
だからと言って、被告の「正義」「正論」で、人を疑うことや人に騙されることを知らない、何の罪もない知的障害者が、生きていてもしょうがない、と、もし殺されるとしたら、かわいそうで耐えられません。
おそらく、殺してくれてありがとうと言う家族はいないと思います。
裁判で匿名で扱われると聞き、とても複雑な思いです。母に意見を聞いてみましたが、返事はありません。積極的に知られたくはないのでしょう。未だに、社会に障害者が家族にいることは隠すべきという風潮があるのでしょう。でも、甲乙…で表されるのも、被告の歪んだ主張を肯定しているようで、納得し難いのです。そこで特別扱いをすること自体が日本社会もまだまだなのかと感じます。
ただ、ご遺族の考えや感情は尊重されるべきですし…考えさせられます。

※NHK19のいのちサイトに応募した文章を載せました。未発表のもの、と書かれていなかったので、いいかな、と。難しいようなら、対応を考えます。

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