見出し画像

傷ついてかかりつけ医を変わった話

駐車場にある、その医院名等が書かれた看板の下に、祭りの時に通りに吊るされる「シデ(紙垂)」のように、小さめの白い紙が何枚も貼られ、強めの風に吹かれてビリビリと音を立てて旗めいている。思わずその光景に目を奪われた。運転中の信号待ちで良かった。風に揺られて、何が書かれているかよく見えない。風の向きで見え隠れする字を解読すると、「P  C  R  し て ま せ ん」。紙1枚に一文字ずつ印刷されて、風で飛ばないように強く貼られていると思われる。

その(私個人にとっては)異様な光景に戦慄を覚え、同乗していた母と、「やめて良かったね」と、この1か月、傷つき、悔やみ、悩み、出した結論が誤りではなかっただろうと思えた。

その医院はその日おそらく当番医で、PCR検査をしていないことを知らせるためだったのだろう。今まで、「する」ことをアピールする広告は見たことはあるが、「しない」ことを知らせるものにお目にかかったことはない。一人ひとりの問い合わせに対応したくないのだろうか。

普段、娘に弱みを見せず、できるだけ頼らないように努めている母が珍しく嘆いていた。医師の、父への診察がほんの数秒で終わったし、その態度がとても寂しいものだったというのだ。私は「そんなことはないと思うよ。話しにくい相手はいるものだし、カルテだけ見て薬を出す医師も見たことがあるとかないとか。」と母に応えた。「わっかりましたー。」とその医師の口癖を真似て、母も納得した。

しかし、母は寄り添って欲しくて言ってきたのに、否定するばかりでもなぁ、と気になり始める。本当にそんなことがあったのだろうか。このままもやもやが晴れないまま通院を続けるのもよくないか、よしここは、手放しで納得しているわけではないことを知らせておこう、と軽くジャブを入れることを咄嗟に思いついた。直情径行、私の悪い癖だ。

「親が、診察に行ったがしてもらったかどうかも分からない程度だったと言っている。そんなことはないですよね?」と電話をかけた。受付から看護師、最終的に医師まで行きつき、「他意はないです。そんなにご心配なら娘さん(私)が毎回診察について来てください。」と医師に言われた。

心配なわけではないし、仕事をしているのにそんなことはできないからとそのまま流した。しかし、その時点でかなりまずいことをしてしまったと怯え始めていた。医師にも母にも不快な思いをさせてしまった。しかし、私自身が医療機関で働き、たまには経験する類のクレームではあるかと、嫌な予感を抱きながらもそう気にすることはなかった。

そして、数日後。その(私が勝手に起こした)「トラブル」後、トラブル前に予め指示されていた日に両親は検査を受けるため医院を訪ねた。父は指示通り朝食抜きだ。受付で検査の旨を伝え、検尿コップを受け取る。検尿を提出したところで突然母は診察室に呼ばれる。

「今日は娘さん(私)は来られていますか?」
「一日中仕事です。」
「先日、娘さんは忙しい診察時間に電話をかけてきて診察に支障が出た。娘さんがあんな電話をかけてきたのはあなたが告げ口したからでしょう。娘さんと話し合いをしないと診察することはできません。信頼関係の築けない患者は診ることはできません。今日はお金はいらないのでこのままお帰りください。」
「今日は検査だから来た。ここで診てもらいたいです。」
「その話はなかったことになる。娘さんと話し合わないとできません。」

空腹の父は訳の分からないまま帰された。コップの尿はそのままトイレに流されたのだろうか。小学生の頃、夏休みに開放される学校のプールに、違う小学校に通う妹と泳ぎに行った。一度は相手側もよく分からず、泳がせてもらえた。親も深く考えず行かせたのだと思う。次の機会にまた妹とプールに行った。今度は大学生のバイトのお兄さんから「違う小学校の人は泳いではいけない。」と断られた。今ほど暑くはなかったが、プールで泳ぐという目的を果たせず、妹に泣き顔を見られないように前を歩きながら学校から数キロの道を帰った惨めな思い出が蘇った。

一つ前の東京リベンジャーズの主題歌、ヒゲダンの『Cry Baby』風に言うと、医師から「強烈なパンチ」で「リベンジ」された。サービス業と友人の医師が言っていたが、その一面もある中、なかなかの倍返しを食らった。診ないと言われると患者はあまりにも無力だ。

「私のせいで嫌な思いをさせて悪かったねぇ。」
普段は素直に物を言えない親子関係だが、この日ばかりは申し訳なくて何度も謝った。そして、遅出なのに奇跡的に早く仕事が終わったため、その医師を訪ねた。

「この度は、貴重な診療時間を妨害してしまい誠に申し訳ありませんでした。……」ことの顛末について謝罪した。

医師は言った。「自分のことを良く思ってないだろうという人たちを診るのはつらい。お互いの信頼関係が築けないと診察することはできない。お父さんもお母さんもここでなくても診られる疾患だ。他のクリニックに行っていただいた方がいい。」

「これからは親の診察に付き添います。先生の意図が親に伝わらないようなら、私がその場で親に説明します。ここにはずっと通っていて慣れ親しんだ場所です。どうか今後ともこちらに通わせてもらえませんか。」

と、一度はその方向で話はついた。苦くて苦しくて辛かった。しばらくどんよりと心は曇った。私のせいで…。とんでもないことをしでかしてしまった…。

先生は予約を取ることを勧めている。仕切り直しのため、次の予約の電話をかける。一つひとつに受付が奥の医師に確認を取る。そして、様々な条件が提示される。親にきちんと説明しないと先生に嫌われてしまう…またもう診ないと言われないようにしなければ…とビクビクしている自分がいた。…しんどいな、こんなにしんどい思いを続けるのもしんどいな…もう潮時かもしれないな。

そういえば、受付も看護師も先代の医師から代替わりする前後でどんどんいなくなって替わった。

私自身のことを考えても、親と子では似て非なるもの。代替わりするまでずっと先代の「大先生」にかかっていた。なかなか主治医を変えない私たち顧客は、今まで話してきた「若先生」にとっては憎らしい存在だったのだろう。

医師自身が他のクリニックに移ることを勧めている。私は友人、知人、職場の医師に辛過ぎて一連の出来事を話してみた。

「一方からしか話を聞いてないから何とも言えないが、これまで知っているあなた(私)はモンスターというほどの人ではない。開業医でそんな態度を取るのはちょっと。無理せず、変わった方がいい。他のいいクリニックを誰か知り合いの医師に相談して探した方がいい。」と上司の医師に言われた。

そして、トラブルとなった医師が以前勤務していた病院で働いていた友人が、実はその医師はとても評判が悪かったと教えてくれた。

同じ友人は、とてもいい医師だというクリニックを教えてくれた。傷ついた両親。不安と情けなさで父は落ち着きがない。藁をもすがる思いでそのクリニックに電話をかけた。

「紹介状があっても、無理ならなくても、来てください。」
勝手に撒いた種とは言え、傷ついた心に、この言葉は嬉し過ぎた。

手続きが完了しないうちに父の不安は募る。無理を承知でクリニックを訪ねて事情を話す。

「今日はカルテだけでも作っておきましょうか。」と受付で言われ、何と医師は診察室に通して問診してくれた。涙が出るほど嬉しかった。

そして。受付にて。「今日はお金はいらないですよ。」

同じ「お金はいらない」でもこうも違うとは。

先日、家族揃って初めての診察を受けに行った。先生が目を見て血圧を測ってくれる。相手がどんな状態であれ、目を見て話し、説明してくれる。当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、優しい医療を受けられて、今後安心して通えそうだ。

家族揃って通っていた以前のクリニック。患者=顧客が私たち家族5.6人分減っても痛くも痒くもないだろう。

私の一方的な話だから客観的な判断は不可能だろうが、院長手作りの掲示物が増え、その内容は患者へのお願いのようなこと。その医師自身もコミュニケーションが得意ではない、生きづらさを持った人なのかもしれない。予定調和に合わせられない私たちは、去って当然の人々であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?