令和6年能登半島地震1月1日
「そろそろ予約したオードブルを取りにいって実家行こうか」なんて妻に言っていた令和6年の元旦の16時前。
昨日は仕事が終わってから僕の新築した家に友達が集まって楽しい大晦日、漁師の友達が持ってきてくれた寒ブリのしゃぶしゃぶやブリかまを焼いて食べて飲んでそれはそれは幸せな大晦日だったのでお昼過ぎまでだらだら過ごしてたらもうこんな時間。
車で和倉温泉のお店のオードブルを妻と引き取ってから実家へ向かう途中の和倉温泉駅前で信号待ちの少しの時間。。。
ギュゥゥンギュゥゥンとスマホからけたたましい音、地震速報と同時に凄い揺れで車がバウンドしだす、いつもならすぐに終わるのに揺れがおさまらない(怖い!)と思いながらも隣の妻がパニックになるといけないと思って口では言わない。それでも揺れつづけてゆっくり電信柱が傾いていく。(めっちゃ怖い!!)体感では2~3分揺れた感じがした。ずっとスマホがけたたましく心臓をあおるように鳴っている。
おさまると別世界、あちこちの道路から水が吹き出し電線は垂れ下がる、すぐに避難するために母に電話するがつながらない駅の横に妻のお店(美容室)と僕のお店(ケーキ屋)がある。妻が「お客さんの着物を取りに行く!」
お正月が終わるとすぐに成人式でお客さんの晴れ着がお店にあるからそれの救出。そしてその隣の僕のお店に行こうとしたけど歩道が隆起して入れそうもないので泣く泣く実家へ急ぐ、やっと母と電話がつながり向かえに行く事を伝えるがあと車で5分の道のりが道路の隆起や陥没、家の倒壊、車の渋滞で遠い。
すぐに母から折り返し「歩いて寺に上がるから!」そう津波警報が出ていた。
そして僕と妻はそれならとりあえず大丈夫と思い母のピックアップを諦めてすぐに和倉町の高台へ、そこへ行くのにも道のりが危ない。しかしなんだこれ元旦に昨日はあんなに幸せだったのに。。。
まず家に寄ってが停電なのかオートドアが開かないのでカギを取り出して開けて、避難グッズとポータル電源を車に詰め込み(妻は緊急の時のために用意していた。僕は鼻でわらいながら妻の気が済むなら好きにすれば良いと思ってたけど今となっては感謝している笑)避難したのは和倉こども園。地元の人たちもいるがここは和倉温泉、しかも元旦の温泉地だ。浴衣に素足に草履の観光客が沢山、この時点で16時30分くらい、陽が落ちかけて気温がグッと低くなってくるしそこに追い討ちの余震の震度5、震度4、震度5。僕の見た目だけど約300人以上のスマホが一斉に鳴って皆で悲鳴をあげる。(後から聞いたら和倉こども園、和倉小学校など3ヶ所全部合わせると1400人が夜を明かしたらしい。)なんだコレ地獄やな。
つづく。