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生活レベルをどんどん下げよう。

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最近の記事

マインドマップに吐き出すと

1日の日課にやりたいたいことが収まらない。だからアプリで吐き出してみる。右側にやらないといけない側のことを書き、左側にやらなくてもいい側のやりたいことを書いてみる。右側の一部は異常に書けるのだが、左側はほとんど一回目まで。それで見比べながら3つまで順番をつけてみる。すると、やれたらいいなと思ってるけど、今別に本当にやらなくてもいいなと思うことが見えてスッキリする。やれたらいいなと思ってるけど本当にやっておかないといけないことも見えるので気が引き締まる。たくさん書いてる部分と全

    • 判断しすぎると疲れるので明日に回す

      考えてる感じなのに実は全然思考してない時がある。出た答えも思考が浅い答えであんまりよくない。判断をするために使う能力には耐久力みたいなものがあるらしく、1日の分も人によって決まっているらしい。ある人は仕事での判断力を残すためにプライベートでの決め事をほぼしないという人もいるみたい。着る服は決めててどれ着ようかなすらない。食べるものもきっとそう。 選ぶ楽しみもあるのだけれど、無駄に使わなくていい判断があるという視点も持ってみると余計なことで悩まなくなる。昨日がどうも頭が回らな

      • 列車と自転車

        何も考えてなくて、そのまま乗ってると勝手に到着するかもしれないけれど、反対方向かもしれないし、通りすぎてしまうかもしれない。でもあと何駅だろーってイメージしやすい。でもペースは一定で、特急に乗るにもお金がかかる。もともと、お金を持ってるかでスピードも違う。一度乗るとなかなか降りれない。飛び降りたらとても痛い。死ぬかもしれない。でも駅で止まっている時間は短いし、降りたあとどうしたらいいかわからない。でも生きてて色んなことがあって、生理的欲求も、安全の欲求も、社会的欲求も、承認欲

        • 久しぶりにnoteを開く

          アウトプットをした方がいいとあったので、また始めようかと思う。これは前も同じ理由で始めたのだけれど、自分の中の容量が足りなって止めていた。ぼくにとって必要なければ通り過ぎていくのだけれど、またこうして戻ったのだからまた書く。久しぶりにnoteを開くというのをまた題名に書くかもしれないけれどまた書く。3日坊主という言葉があってそれで笑われるのだけど平気な顔でまた始める。やってない人よりはまだましか、と思ってたら続けるハードルも辞めるハードルも無いのだから辛いとかない。辛くて続け

        マインドマップに吐き出すと

          聞くということは

          顧客に あなた方はあなた方の関心のあることは聞いてくれるが、私の関心事には聞いてくれない と言われた。まずはこれを教えてくれたことに感謝しかない。仕事で言われたことをやってるだけだとどうしてもこうなる。会社の仕組みというより、実際に接する私たちの意識で変わってしまう。相手の思考回路、相手の感情回路に全力で傾けていかないと、相手の関心事までに辿り着けない。延々と会議して内輪で案を練るより、相手の関心事を把握するほうが合理的なはずなのに、なぜそうならないのだろう。あまりにも目標が

          聞くということは

          覚悟して言わないということ

          関心を持つ、良かれと思う、こうでありたい理想をともに目指す際に言い方はとても難しいし、タイミングを見て言わないというのも難しい。思っていることをそのまま言うのがどれだけ楽なことか。でも本当にそうでありたい目指したい姿があるなら、達成するということならば、言わないという選択肢は重要と言わざるを得ない。無関心であり、諦めであれば言わないでいられるけれども、逆であれば難しい。顔にも出るし、機嫌にも影響する。自分自身が成長する最大のチャンスであり、財産になる。笑顔でチャレンジする価値

          覚悟して言わないということ

          人に感謝されたとき

          感謝されるのはとても気持ちいい。人に必要とされるのも心地よい。誰かの為に尽くせるのもやりがいがある。でもものすごくエネルギーを使う。疲れて何もできなくなる。そんな時の何もしない時間が、本当に誰のために何もせず、ぼーっとしてる時よりリラックスできる。時間が無い方が集中できるし、色んなことに取り組める。全て表裏一体のような気がして、目的のためにそれだけするのでは何も得られず、目的に向かう中で色んな出会いがあるから生を感じることができる。 どうだろう。また2月もそうしたいし、静か

          人に感謝されたとき

          ありときりぎりすならどっちがよいか

          ありときりぎりすというお話があるが、きりぎりすになりたいという人が多いけど結局ありになってしまう。うろ覚えだが、確かありのようにしっかりやらないとダメだぞみたいな話だった気がする。 歴史をみれば、ありのような人たちがいるから、食べ物や身の回りの心配をせずに、きりぎりすのような人たちが政治とか文化とか芸術とか経済が発達できた。そう思うと、きりぎりすの方が良さそうに見える。でもどうだろうありのようであれという人はいないだろうか。きりぎりすのような怠け者になってはいけないと。勤勉

          ありときりぎりすならどっちがよいか

          人工音の無い世界

          もうすぐ転勤になる。田舎から都会に移る。noteを打ちながら人工音がない世界にいる。後ろで眠る娘の寝息、鳥の鳴き声、雀が踏むおちばの音。すごく落ち着きます。まったく無音では無いのだけれど、人が人が作ったものが奏でる音の無い世界に少し浸るだけで、思考がクリアになる。時間の流れが自分のものになっていく。 どれだけの音にまみれてたか忘れてしまってました。あまりにも当たり前に音が溢れて過ぎていたんです。気にならないほどに慣れてしまっていたのだけれど、時間の流れも思考の流れも自分のも

          人工音の無い世界

          報道に自由があるということは

          報道に自由があるということは、どんなニュースを選ぶかも報道側次第であって、報道するにはお金が必要でそのお金はどこからかというと、スポンサーとか株主であって、その方々に認めてもらうには、視聴率や視聴数、フォロー数が必要であって、この数を上げるためにはみんなに視聴してもらえるようなコンテンツをインパクトがあり、刺激があり、簡単である必要があって、インパクトがあり刺激を与える簡単な方法はゴシップや不安を煽ることであって、難しい正確な数字や正確な表現よりも簡単でわかりやすい数字やグラ

          報道に自由があるということは

          本当の反省って?

          言われたら逆切れしてしまう。同じ反省を何度も繰り返してしまうとしたら、、そもそもその反省って意味があるのだろうか。やり方か心構えがそもそも違うのではないか。そもそも違うなら変えなくて大丈夫だろうか。 広辞苑では、①自分の行いをかえりみること。自分の過去の行為について考察し、批判的な評価を加えること。 ②〔哲〕(reflexion)自己の内面的な精神生活または心的状態に意識とくに注意の作用を向けること。 どちらにしても他者に反省していると伝えている時点でもしかしたら、もう自

          本当の反省って?

          授乳(ミルク)の時はどこ見てますか?

          頑張って片手使ってスマホ見てませんか。せめて終わったあとにしませんか。30分もかからないはずです。生まれて2ヶ月にもなれば目で物を追うようになります。その時に見上げる親の顔が違うところに向いてたら寂しくありませんか。目をみればちゃんと返してくれます。子どもにも安心感が伝わりますが、それよりも親の方にリラックス効果があるようです。寝れないのなら少しでもわが子に癒されましょ。ブルーライトよりあなたにいいはずです^ ^

          授乳(ミルク)の時はどこ見てますか?

          子どもに なんで? と言われた時に

          どんな気持ちになるだろう。イライラ?思考停止?余裕?とてもいいバロメータになる。自分がどんな状態か子どもは教えてくれる。 なんで?って思考や好奇心が広がるチャンスでしかないし、止めてたら思考停止の人間を量産してしまう。思うがままに子どもをいいなりにしたいならいいかもしれないが、あなたが召されたあとはどうするのか?まで考えたらそんなことはできないはず。と思いたいが、そうじゃない人をよく見かけるのが不思議でしょうがない。みんな子どもを愛しているはずなのに。 魚を渡すのではなく

          子どもに なんで? と言われた時に

          自分のネガティブな気持ちを認める受け止める

          心が揺れて感情が動き出す時、良くても悪くてもその時の自分を見失う。でも夢と違って状況証拠がたくさんあるので、鮮明に思い出しやすい。ネガティブな感情になるとやっかいだ。思い出せないのだとしたらきっと無意識にブレーキしてるのかもしれない。自分でブレーキをかけてるなーと思えるだろうか。それだけでも客観視できている証拠なのだ。ただこれは自分でやろうとしないとできない。まるでイエスキリストが扉の前まで連れていってあげて、開けるのはあなたです。と言われているかのように。 僕は大学生の時

          自分のネガティブな気持ちを認める受け止める

          幸福(感情)を追い求めて不幸になってる。

          青い鳥のお話がいつもどこかで印象に残っていて、サピエンス全史に分かりやすく書いていたけれど、宗教では幸福が決められていて自由主義では自分で幸福が決められる。自由主義がいいみたいに見えるけど、資本主義と相性が良くて探し出したらもっともっとと沼にハマっていく。レベルアップしてるように見えているけど比べる人が変化して出費が増えるだけ。お金がない人にも中途半端にある人にも上手に合わせて魅力的なものを教えてくれる。自分が求めているものはどの広告やインフルエンサーが当てはまるだろうか。

          幸福(感情)を追い求めて不幸になってる。

          スマホとの時間と子どもとの時間

          どっちが多いだろう。無意識かもしれない。1日があっと過ぎた時にどちらに癒されるだろう。それだけでも自分の心の状態が分かる。どちらが多いから悪いとか正しいとかでなくて、罪悪感を感じるのであれば言い訳し続けると誰も幸せにならないのだ。だからスマホが8割だったとしても残りの2割に罪悪感を感じない向き合い方が自分でできてるか問う必要がある。これは誰かに決めてもらうことでもない。私と私の子どもとの問いである。 言い訳し続けると親として成長できない気がするのだ。自分が感じたあの残念な大

          スマホとの時間と子どもとの時間