旅情ってなんだろう?
青春18きっぷの過去25年分のポスターを掲載した書籍の序文にこんな見出しがある。
旅情。たびごころ。
旅に出て、しみじみと感じる思い。
この格別の情念は、遠くへ行くことにより生まれる。
なんとなく、この感覚は理解できるのではないだろうか?
ではなぜ、距離がこの感覚を作り出すのだろうか。
旅先で抱く、言葉で形容し難いあのむずがゆい感覚は一体何なのだろうか。
◆旅情を分解してみる
思うに、旅情とは、
「日常からの離脱」と「非日常との対話」により生み出される、2つの情念が交錯して生まれる感情なのだと推察する。
日常からの離脱
1つは、日常からの離脱による、俯瞰的な日常への再思だ。
青春18きっぷポスターのコピーで言えば、これがこの感覚を如実に表している。
この時代のポスタービジュアルはノスタルジーを刺激して非常に心にくるものがあるが、このコピーライティングも極めて秀逸だと思う。
日常のサイクルを旅という非日常で一度断絶したからこそ、そして旅先で「その土地で生きる人の暮らし」に触れたからこそ、見えてくるのは日常のことだったのだ。
「彼のこと、将来のこと。」
私たちはこれからどうしていくのか。
旅に出て思うのは、不確かな日常の延長線。
幸せと、漠然とした不安と。
この旅が終わったら、私は。
「今日のごはんのこと。」
旅先でのごはんというより、帰った後のごはんのこと、を指しているのかもしれない。
今日のごはんは、何にしようか。
旅から帰れば、いつもの日常が戻ってくる。
非日常との対話
そしてもう1つは、非日常との対話による新たな発見だ。
このあたりが良い例だと思う。
未知の環境の中での、人とのコミュニケーションや自然との対話。
対話の対象を変更し、日常外部に新たな物語を紡ぐ感覚。
そこには、未知への緊張と、出会いへの歓びと、非日常体験への興奮が伴っている。
日常ではないコンテクストに身を置くこと。
新たな関係性を、その場所につくること。
それは、縁だ。
人と、土地と、風景と。
そこに接点をつくり、縁を生み出す。
それが旅の醍醐味だろう。
そんな2つの情念が、
日常と非日常それぞれへの想いが、
絡み合って、溶け合って、
旅情という二文字を構成している。
そう考えることはできないだろうか。
松尾芭蕉の『おくのほそ道』には、
「日々旅にして旅を栖(すみか)」としている職種の人に言及する箇所がある。
彼らにとっての旅情とはどんなものだろうか?
それはまた、別の機会に考えるとしよう。
旅情とは、距離がつくる。
片雲の風にさそわれて漂泊の旅に出るのも
そろそろありかもしれない。
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