外界の世界と友達
私の生きる範囲は非常に狭い。なぜなら私は引き篭もりだから。リアルの世界で友達はいないし、欲しいとも思っていない。友達なんて繋がりはめんどくさいとか思っている節もあるくらいだ。
でも最近はSNSの世界で人と繋がる喜びを実感している。リアルの世界ではまだ無理だろうけど、SNSの世界だったら友達もいいかな、なんて思っている。
SNSのようなキラキラした世界は私には眩し過ぎて10年ほど避けていたが、なにか心境の変化があって今ではドップリ浸かっている。ちなみに今でも仕事場と家を行き来するくらいの引き篭もりは変わってないけど、𝕏でスペースのホストを初めてから六ヶ月以上一年未満くらいの時間は経った。
色んな人の人生や好き嫌いが見えたり、気の合う人やそうでない人が居たり、非常に変わっている人や外界で広く活躍されている方もいる。怒られることもたまにあるけど、色々な出会いがあって楽しくやらせてもらっている。
その楽しくやらせてもらっている理由の一つに、私が人のフォロワー数や肩書きを気にしない事があるんじゃないかと思っている。もともと肩書きを言われたところでどれほど凄いのかも分からないということもあるけど、私は1人の人としてその人と接していきたいと思っているからだ。でもみんながみんなそう考えてるわけではない。誰かの推しだったりファンだったりすれば、それによって態度が変わったりするわけだ。
最近知り合ったその仲良くしたいと思っている方、もしくは私はもう友達だと思っている方は自身のブランドを持って仕事をしている人なのだが、最近𝕏にてある機能から自粛する旨を伝えた。それが非常に悲しくてこの文章を書き始めた。非常に悲しい、という言葉では伝えきれないほどの心持ちだけど、それを表現するほど賢い頭を持っていないのが悔しい。
自粛した理由はその方の作品を傷つけないためであり、その作品を最大限に楽しんでほしいということだと思う。そこに良い意味でも悪い意味でも作者個人としての印象をこれから作品に携わっていく方々に植え付けたくないということだと思う。私はその事も、その選択を選んだその方もリスペクトします。絶対に簡単ではなかったから。
私はそんなブランドを持ち合わせていないので、完全に理解できるとは言わない。それでも理解出来るし納得もしている。ただ1人の人として悲しい。折角出会えて、いつも明るく周りも元気にするそのお方に好意を持っていた。もちろん友達としての好意であり、それ以上の恋愛感情なんてものはない。でも、これからも友達として仲良くしていきたいと思っている。
友達という感覚がどんなものか忘れているくらいの引き篭もりだったけど、今回のことがあって少し友達が何かってのを思い出せたし、改めて理解した気がする。私にとって外界はめんどくさいもので、理解しづらいものだった。でもそれを凌駕してその人と繋がりたいと思えた。これが友達なのかなと今は思い、成長させてもらったと思うことにして悲しさを少し和らげようと思います。
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