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わたしの原点

オープンしたばかりの介護付き有料老人ホームへ少し緊張しながら入った。
「高齢の方たちに喜んでもらえるのに、何かできることはないでしょうか?」
女性施設長からの相談だった。
まだ何もレクリエーション的なものが企画されていないという。

某音楽教室で幼児からシニアまで、レッスンをしていたのはウン十年前。
(私に何ができるだろうか?)
そもそも老人ホームという場所は初めて入る。
介護の世界というものにも、浅い知識と情報しかない。
開所されたばかりでまだ入居者は4人。

「観せる」というより「一緒に」というスタイルで歌を歌うことから始めた。
昔覚えた童謡や唱歌、昭和の時代の流行歌・・・
題材はなんでもよい、まずは一緒に声を出そう!

介護施設での『歌声広場』の始まりである。
小さなキーボードをお借りして、
歌い出せばおのずと口からすらすら出てくる。
遠い昔覚えた唱歌や童謡の数々は忘れていないものだ。

入居者は徐々に増えていき、参加人数も一人、また一人とお仲間が増えていった。
中には介護度の高い人もいて、施設長と一緒に歌詞カードを作っていくことにした。
普段の生活の中で、「人気があるんですよ」と施設長が勧めて下さる歌も取り入れていった。
軍歌やラジオ歌謡というジャンルは、私にはなじみがなかったものの、歌うのは私ではない、皆さんなんだ、という思いで、楽譜や歌詞を用意していった。

目から文字を通して入ることで、口が動き出す人もいる。
目線を合わすことで、こちらが意識して口を動かすと、それにつられて歌い出すこともある。
伴奏を弾きながら、できるだけ一人一人とのアイコンタクトを大切にしたいと思った。

この施設は「介護付き有料老人ホーム」
寝たきりに近い人もいる。
車椅子どころか、ストレッチャーのようなものに乗せられたまま、スタッフが連れて来てくださる。。
口は動かない、口どころか全身無理のようだ。
しかし、しかし、、、、

涙がスーッと流れる。
あの女性の頭の中には、懐かしい風景が浮かんでいるのだろうか。

手の指先がほんの少し動いている!
食事の介護も必要で、自分で食べ物を口に運ぶことすらできない男性。
だが確かに歌のリズムに合わせて、だらんと下へ伸びた手の指先がかすかに動いているのだ。

どこが痛いのか、それを言うことがヘルパーさんへのアピールのように、「痛い!」「痛い!」と言い続けている女性。
キーボードの音色が聞こえてくると、全くその声が止んだ。

こんな姿を見て、私の胸はキューンと音がしたかと思うほど、感動で締め付けられた。
必要なんだ!音楽って歌えなくても心の中にしみこんでいく。

ある日、手が空いたと施設長が来られたかと思うと、会場になっている食堂から小走りに出て行き、廊下の両側にならんだ居住者の居室のドアを開け放してまわっていらした。
「ベッドから離れられない人の耳にも、これなら聞こえますでしょ!」
施設長の心使いに感動しながら、その日はいつもに増して大きな音になっていたように思う。

歌うことと同様に大切にしたのは、みなさんとの会話。
いわゆるトークの部分だ。
歌詞の意味を味わう、時には歌うのではなく、声を合わせて一緒に読み上げてみる。
この歌が持つ背景を、作詞家の思いを、「解説」などどいう堅苦しいことではなく、
味わってみる。
「みなさんも、これを見たことがありますか?」
「覚えています? どんな色でした?」
「子供の頃、お友達とどんな遊びをしましたか?」
  ・
  ・
  ・
字面を見て歌っていただけの歌が、風景を帯びてくる。
そんなお話をしていく。
『遠くを見るような目』
きっと、昔見た遠い記憶がよみがえっているのかな。。

個人的におしゃべりをして下さる人も増え、私の知らない時代の話をたくさん聞くことができた。そんな話をしているときのお顔は、とても穏やかで生き生きと輝いている。

私にできることは、なんだろう?
音楽講師として若いころから生徒さんに伝えてきたのは、テクニック重視だった。
これって、もう、いいんじゃないかな。

生活の中に「潤い」を与えていく、そのツールとして、自分の演奏を磨いていこう。

きっかけを下さった施設長が定年で退任される日、
「先生ならではのカタチができあがってきましたね。
音楽療法とうたうモノはたくさんありますが、この施設の皆さんは幸せだと思います」

私のライフワークを与えて下さった、この施設長には感謝しかない。

あれから約10年が経った。
今では、うかがう施設が30か所を超えた。

最初にお会いしたとき、私は施設長に問いかけた。
「このお仕事をされていて一番大切にされていることは どんなことですか?」
「皆さん、この世の中を作ってこられた人生の先輩。常に尊敬の心を持って接すること」

この言葉を忘れまい。

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