デナリ、マッキンリー

東関東大震災が起きた時、たまたま一時帰国をしていた。二日後か三日後には、また留学先に帰らないといけなかった。震災当日は、東京で高校の同級生に会っていたが、都内の電車はのきなみ運休したため友人の自宅に泊まることになった。あの時、友人のお母さんが買ってきてくれたお弁当を思い出すと、今でも優しさと、友人がいてくれたおかげで1番怖い夜を超えれたことを思い涙ぐむ。そういえば、テレビに映る被害を見て、怖くてみな眠れなかった。

数日後、家族が羽田空港まで送ってくれた。けれど、自分だけアメリカに帰ることに、日本に家族も友人も残すこと、余震も続いているし、福島の原発もあるし、不安がとまらず空港で号泣した。号泣していたせいか、CAに止められ放射能測定器で身体をチェックをされた。福島からの人と思われたのか。今でもなぞだ。同じ飛行機で放射能のチェックをされていたのは自分だけだった。

そんなぐちゃぐちゃな思いのままアラスカ上空で夜明けがきた。飛行機のちっぽけな窓から見える、山々は赤く染まり、それはそれは雄大で、大きすぎて人間のちっぽけさを滲み入るように感じた。こんなにも大きな自然に人は勝てるはずがない、なぜ今まで日常が自然の上に成り立っていると気づいてなかったのだろう、と諦めにも癒しにも似た感覚におおわれた。この時の山々は静かに、でも確かに、人生にはどうにもならない時もある、そんな時は諦めて休んでもいいと勇気づけてくれたと思う。

ふと思い出したのと、震災後しばらくはもっと辛い人がいるから、こんな個人的にどちらかというと何の被害も受けいていない自分が共有してはいけない話だと思っていたので、今改めて記してみた。

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