小25月病院で訪問指導を受ける

小3 5月 病院で訪問指導を受ける

さっそくの違和感

週明けに病院に戻ると、訪問指導がある日の行動が「しんどい、学校に行きたくない」と登校を渋る態度そのものになっていきました。実際に微熱が出たり、湿疹が出たりもしていました。
宿題もやろうとしません。
授業には親の付き添いは禁止されているので、あとで聞いたのですが、先生が来る前、娘はトイレにこもり、授業中も30分トイレにこもっていたそうです。
先生と話し合い、「遊びながら勉強もちょこちょこする」という方針になりました。宿題は娘が「いや」といったのでなしに。

だけど、娘の様子はどんどんおかしくなってきました。
食事もあまりとらないし、布団をかぶって先生がくるまで出てこない、寝る前に何度も足を石鹸で洗ったりする強迫障害的な行為も見られました。
その頃娘が言っていたこと。

「先生と勉強したら学校に連れ戻されるんやろ」
「先生は、学校行かなあかん、勉強せなあかんっていうし、りさ行かなかったらもう、学校クビになるかなぁ。先生はみんなにもりさのこというのかなぁ」

あとから娘から聞いたのですが、先生は娘に学校に戻るように執拗に言っていたそうです。「イヤって言ってもいつか行かなあかんねんで」と言われてあきらめたんだと、かなりたってから打ち明けてくれました。

「最初からあの人大嫌いやった」

これが何もかも終わってから娘から聞いた言葉でした。
娘はものすごくつらかったのです。身体でも一所懸命表現していたし、態度にも出していたし、「もうイヤやー」と言葉でも言っていたのです。退院するときも「息苦しい」と訴えていました。
私はなかなか気づこうとしなかった。いえ、気づきたくなかったのでしょう。退院近くになって「ひょっとして彼女はかなりつらいんじゃないか」とやっと気づいたのですが、何もしませんでした。

あの頃の私は支援というレールにのってしまったら逆らうことはできないと、最初からあきらめてしまっていたのです。それと、多分「ひょっとして学校に戻れるかも」という期待に縋りついていたんですよ。
まだ「学校なんか行かなくていい」という心情にはたどり着けていなかったのです。

それと、私は訪問指導を「無料できてくれる家庭教師」という風にとらえていました。「週3回勉強をみてもらったら勉強の遅れも取り戻せるかも」という期待もありました。
主治医も特別支援学校も目標は「学校へ行かせること」だったのに、それも分からずにいた自分が情けないです。

本心では「学校へ戻ってほしい」と願い、一方では「娘に無理をさせないでほしい」と願っていた私。両方本当で、矛盾した願いのなか身動きが取れなかったんだろうと今では思います。

学校へ行くのが怖い

退院して、家に初めて支援学校の先生が来る前の日、娘はすごくおびえていました。
微熱、じんましん、フラフラ感、夜は眠れない。

「先生が、別の子も嫌がっていたけど連れて行って、その子は行けるようになったって言ってた」
「行きたくない」
「連れて行かれる」


そんな娘を見て、私も死にたい気持ちになり、「訪問指導なんて頼まなけりゃよかった」と思いました。
<つづく>
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