小22月放課後登校が始まった2

小2 2月 放課後登校が始まった

放課後登校開始

退院してから、娘は放課後に登校するようになりました。学校からそうするようにいわれたのと、放課後でも登校すると登校日数として認められるからです。

最初は先生もプリントを出して来て「やってみないか?」と勉強させるよう持っていこうとしていましたが、娘が「いや」と拒否し、私も「無理に勉強させないでください」といっていたのであきらめたようです。

一番嫌な勉強を強制されて、学校に完全に足を踏み入れなくなったら何にもならないと私は思っていました。それは正解だったと今でも思っています。
先生の特別な計らいでDSを教室に持っていって、ゲームを一緒にしたりしていると娘はイキイキしてました。

周囲の騒音

娘は習字が好きでそれは続けていました。あと、そろばんも私の提案で習いだしていました。ですが、学校に行かなくなってから習い事に行くと、学校の子に「お前、学校来てないのになんでここには来るの?」といわれて通うのをやめてしまいました。

あと、放課後に私と一緒に学校に向かっていると同級生にも出会います。
ある日こんなことがありました。
教育熱心で有名なお母さんとその娘さんが犬の散歩をさせているところに出会ったときのことです。
そのお母さんは娘に向かって直接、「学校に行かないと、高校も大学も行けなくなっちゃうよ。勉強しないとお仕事も見つからないのよ。」とまじめに話し出したのです。
学校に行けなくなった子どもにそんな脅すようなことをいうなんて、制止する間もなかった私は怒りにふるえました。

それだけではありません。
放課後教室に行ったら、居残っている子どもたちに「りさちゃん、宿題ないの?」、「勉強遅れるよ」、「宿題しないでいいなんてズルい」、「いいな~」っていわれていました。
今振り返れば他の子どもたちもしんどかったんだなと理解できますが、そのときは「なんてひどいことをいうんだ」と怒り心頭の私なのでした。

放課後の教室の恐るべき光景

放課後登校すると、よく勉強が追い付いてない子が残されて遅れた分のノートやプリントをやらされているところに出くわしました。先生がついていないときも時々ありました。

そんなある日見た風景に私は凍り付きました。
クラスのおとなしくまじめに見えた女の子(近所の子でやっぱりおとなしい子だと思っていた)が、居残っている男の子の椅子を蹴り飛ばして「お前、勉強しろや!」って怒鳴っているのです。

思わず、「おまえ、何様やねん」と心の中で突っ込みを入れました。その場は「そんな蹴ったらあかんよ」と注意はしましたが、その子は「何が悪いの?」って感じでした。

小2にして「勉強についていけないと将来大変」、「勉強しなければならない」という考えに支配された子どもたちは不気味に見えました。なんだか背後霊のように親が取り付いているようで。

娘はある日私に、「あんまり勉強遅れるとやばいから、3年生になったら勉強一日1時間教えてくれる?」と言ってきました。

「勉強したいの?」
「したくないけど、ママしゃべってたやん(教育熱心なお母さんとのことです)。」
「したくなってからでいいよ。大丈夫だから。」

娘は「家にいても気が休まらない」といい、「学校に行かなくてすみません」といいながら休んでいました。
こうした勉強至上の空気が娘を追い詰めていたんでしょうね。

そして、他の子どもたちも追いつめられながら適応しようと必死になっていたのだろうなと今では思っています。
<つづく>
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