小212月初めての付き添い登校

小2 12月 初めての付き添い登校

ついに付き添い登校要請が

12月の中頃から3日続けて休むようになった娘。先生が夕方家にきて2時間くらい娘と話していました。そして、まだ「子どもは学校に通うもの」という意識が捨てられなかった私は、自分から「付き添い登校しましょうか?」と申し出たのです。
先生ははじめからそのつもりのようで、すぐに話はまとまりました。

それからは、ネットを検索しまくって「付き添い登校」について調べました。ある方が詳しく体験を書いていて、保健室で二人で過ごしたこと、親のいたたまれない気持ち、学校での親の過ごしかたなどを読んで、少し気持ちの準備ができました。今でもとても感謝しています。

今では当時より多くの体験談を読むことができますので、検索やツイッターなどで探してみることをお勧めします。

いざ学校に行ってみたら

次の日、自分の弁当と上履き、暇つぶし用の本を持って一緒に登校しました。
娘は「ママと一緒じゃないと教室に入らない」といいました。校長は「同室はダメ」といってたそうですが、担任の判断で娘の後ろに席を作ってもらい、給食の時間以外はずっと一緒に過ごすことにしました。

ちなみになぜ給食の時間をさけたかというと、学童保育の指導員をしていたころの体験を思い出したからです。
子どもたちは大人のお弁当にすごく興味を示します。「ちょうだい」といわれることもしばしば。でも、絶対にあげてはいけません。もしそれで腹痛でも起こせば責任問題になるからです。
なので、給食の時間だけは図工室で一人お弁当を食べ、5時間目が始まる前に戻るようにしました。

そうすると、毎日違う学年の男の子が遊びに来るようになったのです。「先生?」「違うよ、子どもが学校イヤっていうから一緒にきてるんだよ」「そっか」という会話から始まって、毎日たわいもない会話をしていました。
なんだか、学校に居場所がないと感じている子はほかにもいるんだなと思った出来事でした。

授業中は結果として先生のアシスタントのような立場になりました。ついていけてない子のフォローをしたり、見守りをしたり。
もう見てられないと思うシーンがあまりにも多かったからです。

学校って地獄だ

さて、娘のクラスの様子ですが一言でいうと「カオスと地獄」でした。
学期末ということもあったのでしょうが、先生は自分の席でヒマで好きなことを言いにくる子どもたちの相手で必死、図工の課題が終わっていない子は仕上げるように指示するものの放置プレイ、おとなしい子も放置されているという状況。

ざわざわした雰囲気は聴覚過敏の特性を持つ私には地獄なんですよ。娘も同じ特性を持ちますが、いろいろな話声や音にイライラするし、全部の音を同じトーンで拾ってしまうので、先生に何か指示されても聞き取ることができません。
私ならこれだけ落ち着きのない環境で、苦手な勉強を教えられても全く頭に入らないでしょうね。
娘もそういう苦しみを味わっていたのかもしれないと思いました。

休み時間はあちらこちらでケンカが発生しています。
女子と男子が「戦い」をする遊びが流行っていて、たたき合いは当たり前、娘もある男の子を蹴りまくっていました。
「なんでそんなことしてるの?」というと「いいねん」といって相手もヘラヘラ笑っています。
娘にあとから聞くと、その男の子に「ズル休み」といわれ、それを信じた子も遊んでくれなくなったと言っていました。

また、女子5人くらいが激しいケンカをして授業が始まっても泣き続けているのに、先生は様子を見ようともしないということもありました。

「先生、あの子達いいんですか?」というと、「ああ、いつものことですし、僕が口を出してもどうしようもありませんから」。

ああもう終わってるな。

休み時間は先生はみんな職員室に帰ってしまっていて、何があっても対応できないし、何が起こっているのかもわからないという状況でした。
そんな感じで、教室はいつでも一発触発の雰囲気で、喧嘩も多く、授業中でも静寂というものが感じられませんでした。

娘は何年も後に私に言いました。
「あんなケンカばっかりする子たちを同じクラスにした校長先生はバカだ。」


娘に「ズルい」という子は満たされていない子なのかもしれない

先生は、みんなに娘の話をしていてくれてましたが、子供たちは「ズル休み」とか「不登校」って思っているようでした。

だけど付き添い登校を始めてから、「お母さんと一緒なんてズルい」という子に限って私にすり寄って甘えてくるのです。
他にも「聞いて、聞いて」って話しかけてくる子は多かったですね。
娘の不登校をとがめる子ほど、満たされていないような印象を受けました。
「本当は私もしんどい、学校に来たくない」という気持ちを抱えていたのかもしれません。

付き添い登校して娘はどうなったか

やはり、月、火は登校できず、「しんどい、火曜日は嫌い、6時間イヤ、勉強イヤ」と訴えてました。
修了式は無事迎えることができましたが、(修了式に出たのは初めてだ)1月になったら学校へ行けなくなってしまいました。

でも付き添い登校を経験してよかったです。
「こんなところ私だって通うのは嫌だ」と実感できたから。

娘の性格と障害特性上、あんな環境では授業も理解できないだろうし、心は疲れきってしまうだろうということが身をもって理解できたのが収穫でした。

<つづく>
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