小3になって

小3になって

楽しかった春休み

小3が終わった春休み、娘は2つの親子キャンプに参加しました。
片方は海のキャンプ。指導員のお兄さん、お姉さんがいて、海で貝殻の観察をしたり、ワカメを採ったり、手で採った牡蠣をその場で食べさせてもらったり。
みんなともすぐに打ち解けて楽しそうに過ごしていました。

もう一つはクリスチャン系のキャンプ。うちは無宗教なのですが誘われて参加しました。聖書の一節の劇をしたりというのもありましたがそれはそれで面白く。娘も特に抵抗感はなかったようです。
あとは、野草でいろいろ料理したり木に登ったり、男の子たちと三角ベースをしたり。そんな時の彼女は輝いていました。

新学期が始まって

始業式は私だけ新担任と会って、今までの経緯と、本人がその気になるまで登校はさせないという方針を伝え、教科書をもらって帰ってきました。
すると、夜になると娘が勉強していてびっくり。
「友達イヤで学校に行かれへんだけで、勉強はできる」って。
一日だけで終わりましたが。

このころから夜眠れなくなり、「布団に一緒に入って」「眠れない」といって泣くようになりました。
選挙カーの音もこたえるようで、「うるさい!」というより静かにダメージを受けている感じ。
相変わらず、「生きているのに疲れた。引きこもりやし、ママとケンカばかりしてるし」といい、私が怒ると泣いてばかりいました。
大人の会話にとても敏感になっていて、「何でも丸聞こえや」といっていました。本人もつらいだろうけど、ずっとそんな様子の我が子につきあう私はだんだんと疲れ果てていったのです。

市の教育サポートセンターに電話して、学校復帰を目標にして月1回子どもは心理士さんのセラピーに、私はそこの先生に相談しに通うことになりました。
学校へは週1回二人で学校へプリントを取りに行くことになりましたが、娘が行くことは結局ありませんでした。

不登校児かて大変やねん

これは娘の言葉。
「しんどいし、心許せる人としか会うことができへん。家におってもしんどくなったりお腹が痛くなる」
このころはまだ放課後や土日になると友達とよく遊んでいました。
先生が一番仲のいい友達にプリントを託してきたので、来てくれたついでに遊ぶことも多かったのです。
でも、その友達のお母さんは「帰ってきたらちゃんと宿題をしてから遊ばせたい」というきっちりした人だったので、きっと「困ったな」と思っていたんだろうなと今では思います。

また、遊んでいるときに2年の時の同級生の男子に「お前の名前忘れた」といわれた娘が、その子のことを蹴りまわすということもありました。
私も蹴りたかった。

5月に入るころには私は精神的に追い詰められてきました。
<つづく>
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