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数学教師不足のアカデメイア-第13書簡からー


 序.
 前回,アカデメイアには数学教師がいなかったのではないかという説を投稿いたしました.
 今回は補足として,アカデメイアでは(数学の)教師を外注していたのではないのか?ということについてご提案いたします.

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1. ディオニュシオス2世
 プラトンは,シュラクサイ(現シラクーザ)の僭主ディオニュシオス2世の教育係として,熱心に活動した時期があります.その内容はプラトンの『書簡集』からうかがえるのですが,ここで問題にするのは「第13書簡」です.この書簡が書かれたのは,前366年と推定されています.この書簡でプラトンは,僭主の教育係として,ヘリコンという人物を派遣すると約束しています.その部分が非常に奇妙なのです.引用しましょう.

第13書簡,360C~D
「その名はヘリコンといい、生まれはキュジコス、エウドクソスの弟子で、あの人の学説をすべてにわたって十分にこなしています。なおまたイソクラテスの弟子とも、ブリュソンの仲間の一人のポリュクラテスなる人物とも交際してきており,それでいて珍しいことに、会ってみて無愛想でもなく、性格に欠点はないらしい。 (中略) とはいえ、この人物[ヘリコン]にも、わたしは不安、不審を覚えてはいましたので、自分でも会って見もしたし、かれの同郷者たちに問い合わせてもみましたが、だれ一人、一向にこの人物を悪く言う者はいなかったのです。」
『プラトン全集14』(長坂公一訳)岩波書店,1975年より[ ]を追加して引用


どうですか?これが自身の学園にいる弟子の一人を紹介する手紙だと思えますか?
ヘリコンという人物は
① プラトンと対立していたイソクラテスの弟子や,ソフィストのブリュソンの仲間と交際していました.
② プラトンに不安や不審を覚えさせていました.

   もうこれだけでヘリコンはアカデメイア所属とは考えにくいのですが,さらにプラトンは僭主への派遣に先立ち,ヘリコンの同郷者に人柄を問い合わせました.この同郷者というのが誰かは分かりませんが,原文は複数形ですので,複数のキュジコス人に問い合わせたことになります.この「問い合わせる」というのは「人物について聞き出す」というような意味の強めの意味をもつ動詞を用いています.エウドクソスはキュジコスから,ヘリコン,ディノストラトス,メナイクモス,ポレマルコス,カリッポスという,いずれも優秀な数学者,天文学者を弟子として引き連れてアテナイを訪れました¹⁾.プラトンはこの人たちに会い,ヘリコンのことを問い合わせたのだと考えるのが自然です.

2. 派遣できる数学教師がいない
 アカデメイアの数学教師として最有力のテアイテトスですが,彼は遅くとも前369年に亡くなったことになっています.「第13書簡」の書かれた頃には数学教師と目される人物がアカデメイアからいなくなります.
そこで,やむをえず外注することになったという想定はどうでしょうか?

3. なぜ外注してまでも,僭主の教育にこだわったのか?
 プラトンは「第13書簡」の中で,僭主に対して,それはもう率直に,「金をくれ」と言わんばかりに資金援助を申し出ています.そういった事情もあり,僭主の教師派遣の要請をむげには断ることは出来なかったのでしょう.ヘリコンも,少なくとも2回はシュラクサイに出かけています.2回目の訪問となる前361年には日食の予報を的中させることで,僭主から銀1タラントンの褒美をもらっていますから²⁾,シュラクサイの富というのは魅力的だったのでしょう.ヘリコンがシュラクサイの富から離れることが出来なかったとの伝承もあります³⁾.

4. おわりに
 エウドクソス一派がアカデメイアで数学研究をしていたとの想定を支持する文献が多いのですが,あまり有名ではない人物(ここではヘリコン)に光をあてて,史料をあたってみると,今にも切れそうな細い糸で繋がっていることが分かります.偉大なプラトンが数学とは無関係なわけがないという先入観が,その細い糸を補強しているのかもしれません.


1)“The Boys from Kyzikos: what did they do?” by Henry Mendell,
  http://repository.edulll.gr/edulll/bitstream/10795/3544/3/3544_01_Mendell%20paper.pdf

2)プルタルコス『ディオン伝』19.6
3)フィロストラトス『アポロニオスの生涯』1.35

参考文献
『プラトン全集14』(長坂公一訳)岩波書店,1975年
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(中)』(加来 彰俊 訳)岩波文庫,1989年

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