僕がアパレル商社に就職する実の遠因は暇空茜だったという話 #short
私の就活は紆余曲折あり、関学の同級生と比べて苦戦した末に二社から内定を貰う結末となった。アパレル商社と自動車部品メーカーである。
このうち私はアパレル商社への就職を決断したが、その理由は冗談抜きで「弱者男性」が関連している。
何を隠そう、私自身が弱者男性だからだ。私は小学校から高校の前半までは成功していた。だが相変わらず精神性が未熟だった私はこの成功に溺れ、「ファッションに目覚めて異性を意識するのはダサい」と考えるようになった。自称進学校だった私の高校では3年の6月を越えると受験勉強のため登校しなくなる。2020年、関学に合格し、入学式がコロナ化で中止になった。2020年秋学期、一年近く友人と隔絶され、学びの場に再び登校することとなった私は、見事なチー牛としてカムバックを遂げていた。怠惰だった私は「#春から関学生」のタグにも参加していなかったため事前のコネが出来ておらず、小学校から高校まで東京出身だったため、新たに会う同級生が操る流暢な関西弁に隔絶感を感じていた。そしてロクに音楽も聞かず恋愛関係もなかった私は、友達との話題を見つけるのに苦慮していった。
そのせいで今でも友人は哲学科に限られており、また活発なゼミではなかったため、ゼミ内の友人関係も希薄なままだ。
さて3年後、マルチタスクが苦手な私は一人暮らし・就活・卒論執筆の同時並行が出来ず、家事だけは家族に頼ろうと母の実家に身を寄せた。そこで見た祖父の姿は、まさに私がこのまま50年後になりうる姿だった。頑固で母との関係構築に失敗しており、ロクな服を着ず、数十年前の武勇伝しか話題がない。そんなチーズ牛丼も食べられなくなった、皺だらけの学歴厨がそこにいたのだ。「ファッションに目覚めて異性を意識するのはダサい」との考えに陥りチー牛化するのは、わが一家の伝統だったのである。
祖父との同棲で気づいたのは、「身だしなみに気をつけることは譲歩の第一歩である」ということだ。自分が相手(特に異性)にどう見られるかを考えることはひいては異性が自分の行動をどう捉えるかを自省することに通じる。自分を客観視し、悪いところを直す。このスキルがない男はクズ夫と化す。このことを理解しているがゆえに、身だしなみを整えないチー牛を女は敬遠するのだ。
昨今、ネットでは「弱者男性」「チー牛」「暇アノン」といった集団が猛威を振るっている。モテないルサンチンマンを反社会的行動で晴らす集団。彼らを構成しているのは、私や祖父がインターネットの毒素に感染したような集団だ。彼らは女性たちが危惧する通り、異性のために自分が自省し、譲歩することを頑なに拒んでいる。
しかし彼らを哀れな負け犬と見下して嗤っても彼らが矛を収めることはないであろう。彼らの主張の正当性如何を問わず、彼らの苦しみは本物だ。
ただ自分の好きな物だけを消費してきただけにも関わらず、気づけば負け犬の集団に振り分けられていた。陽キャのように振る舞うことは、我々にとって難しいことなのである。具体的に言えば、垢抜ける方法がわからないのだ。
「簡単に垢抜けられる社会にする。」これはNPO法人も行政にも達成できる目標ではない。民間企業に就職して達成する目標だ。
簡単に垢抜けられれば、沢山の人が自分の魅力を磨き、自らの悪いところを改善することが出来る。多くの人が自分の身だしなみを省みるようになれば、自分の行動や相手に対する行動を省みるようになる。
男性が売れ残ることも無くなる。彼らがルサンチンマンを蓄積して女性を攻撃することも無くなる。
私は相互尊重の第一歩を、身だしなみに見たのだった。
「私は祖父の姿を見て、身だしなみに気をつけることは相互譲歩の第一歩となると感じた。」そう面接官に話し、アパレル商社への就職が決まった。
就活から解放された私は、1000円カットではなく美容室に向かい、「僕に似合う感じでカッコよくしてください」とお願いする。そしてすでに身に着けておくべきだったファッション感覚を、同期と一緒に高めるつもりだ。
チー牛諸君もネットに引きこもるのを辞めて、ゲジゲジ眉毛を剃り、女の子のクラスメートに「仲良くしてください」と頭を下げよう。私も一緒に努力するので、ネットではなくリアルで成功するように前を向いて欲しい。40を越えても、婚活サイトを経ず結婚相手を見つける人はいる。それが今読んでいる読者諸子に叶う兆しが無いのは社会に問題があるからではない。あなたが異性に譲歩したがっていないことを、外見から見透かされているからだ。