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#8 愛と情

どうも。 ふと思い立った時に書く文字の羅列。 インプットの可視化。 これは強要でも要望でもないただの独り言。 ... とあるお店でこんな話になった。 「子が障害を持つ親は不幸せなのか。なぜ周りの目線が厳しいのか。」 世の中には「頼り」になる事柄が沢山ある。 それは 占いであったり 推しであったり 教育であったり 指示であったり 思想であったり 仲間であったり お金であったり 地位であったり 歴史であったり 権利であったり etc... その人間に対しての先生だったり

    • 2021

      どれだけの日数が経ったのか 全てが黒に見えた 目を閉じた 次の一呼吸も無いままに消えるはずだった 何故か生きている やる事は終えたと 全てを残した だけど呼吸は続いていた 記憶が途切れ戻って最初にやった事は"想いの文字化"でした。 何万、何十万。数える気も無く只管にただただ書き続けた。 吐いて吐いて文字を吐き出し続けた。 記憶を吐き出した。思いを吐き出した。 苦しい。辛い。悲しい。 何故生きてる。何故死んでない。 何故生きてる。何故消えてない。 お目汚し失礼しました。

      • 自分が地域おこし協力隊制度を体験した結果

        *本件は投稿者自身の体験したこと、証拠を元に記載しており地域おこし協力隊制度で活動している各地隊員とは関係ありませんので予めご了承ください。 地域おこし協力隊制度とは 実際自分が体験したのは下記でした。 ◼︎今回の対処について以下は本件に対して対処した事を簡単に纏める 1.支援機関からの警告書に対し弁護士へ相談。 2.総務省担当者に現状報告。市役所への事実確認を実施。 3.県労連へ相談。共産党担当者と市役所へ協議。 1.支援機関からの警告書に対し弁護士へ相談。 今回の

        • #6 P視点とS視点の関係

          2018~2019→2020 総括 「十人十色」 Player or Supporter? 「人は必ずSかMかに分かれている!」 そんな事を誰かが言ってたような気がする… ふと人生を振り返ってみるとスポーツに始まった人生〜ITの代表取締役ってのは 例としてもあまり無いと思ってます。知らんけど。 (スポーツ推薦入学→高校日本代表→自衛官→プロスポーツ選手→会社員→法人代表取締役) さて、そろそろ2019年が終わりそうですね。 タイトルだけ見るとなんかの論文かな?とも感じ

          #5 夢追人

          少し昔話をしましょうか。 ======= あれは中学3年生卒業の頃。 母親から「高校生になったらスマホにしようか」と言われた自分は その頃ガラケーを握りしめ数少ない友達から焼いてもらったCDやMDをCDコンポで SDカードに読み込み小型のmp3プレイヤーで移動中ずっと音楽を聴いてました。 小学校では足は遅く勉強もできず顔も大人び過ぎて恰好の的となり虐められ 理由はともかく5年生の頃には親は離婚しました。 そこから知らず知らずに母親に気を使う生活を送ってました。 小学

          #5 夢追人

          #4 好きな事で生きる

          どうも。基本インドア人間なので炎天下に曝されると真っ赤になる私です。 日焼け止めとか嫌いなんでつけないんですよね〜(あれ体内に吸収されるらしいよ) さて今回は自分の仕事含め色々と書いていこうと思います。 多分役に立つこともあるかも知れないって先に言っとけばとりあえず回避できるかな← まずは自分がやってる事を簡単に書きます。 ・バーチャルキャラのイベント制作 ・バーチャルキャラのモデル制作周り ・e-スポーツStreamerの発掘 ・YouTuberの支援活動 ・農業

          #4 好きな事で生きる

          #3 Shin Standard

          〜個人クリエイターのみで構成するリアル×バーチャルのライブイベント〜 4/29。ゴールデンウィーク3日目。Shin Standard Vol.2が無事幕を閉じた。 長く苦しくも一瞬の出来事のように時間は過ぎていった。 全てを終えた時の記憶は、その瞬間に感動的な思い出に変わっていた。 Shin Standard主催の前田です。 ブログ書いてたしそういえばこうゆう事書けばいいんじゃね!?と思い、振り返り配信を終えた今パソコンに向かってます。書きたいことがいっぱいあるので休

          #3 Shin Standard

          #2 自衛隊入ってみた

          仕事柄〜やってみた動画とかまー有象無象見てきたからこんな感じのタイトルです。 それではどうぞ〜 高校を卒業後。3月末より進学校ながら就職を選んだ自分はとある基地の中に居ました。 周りは誰も知らない分からない、置いてある車も大砲も戦車もなんだこれ状態でした。 前期新隊員教育(3ヶ月) 先に言っておくと理不尽かつ怒涛の3ヶ月でした。 始まりは基本教練(各個動作)から。良く自衛隊と言えば敬礼のイメージだと思いますが これは最初に習うのです。しかもそれだけで1日、また1日と過ぎ

          #2 自衛隊入ってみた

          #1 アスリートになった話

          高校推薦の話が来る頃。 中学では部活を兼用していたからこそ推薦は色んな種目から来ました。 レスリング、陸上、相撲、柔道などなど。 その中で話を聞いて気になってしまったのが「重量挙げ」という種目です。 高校からほぼ毎日重力+αの生活をし、太もも周りは70cmほどに大きくなりました。 体重は平均105kgくらい。体の基盤はここで作られました。 そして運動の基本もここで学びました。 高校2年の3月。東北大震災発生。そこがスタートであり人生は変動していきました。 元々東京

          #1 アスリートになった話

          #0 はじまり

          40年の歴史を引き連れた定食屋さんでとんかつを食べていたある日のこと。 「あ、文章を書き殴りたい。」 そう考えてしまったのでここにマエダの日常記録が始まります。 平成のわりかし初めの頃、山梨の山奥(コンビニは22時まで)にて生まれました。その頃の平均的な体重で生まれた自分は親に聞いたところ離乳食を食べる頃には1食で2人前は食べていたそうです。15時にはたまごボーロをせがむ全然泣かない子ども。 食いしん坊ですね。 そりゃ大きくなるわけです← 小学校では野球をやりました

          #0 はじまり