ルリドラゴン、1話のルリと2話のルリの違い

 週刊少年ジャンプの新連載、ルリドラゴンが久々にビビッときました。最初は表紙の可愛いガオー顔にやられて、今流行っている『まちカドまぞく』に冒頭が似ているということで惹き込まれたのですが、2話を読んでいてこの漫画はただルリが可愛いだけの緩い日常系の作品ではないなと思うようになりました。

 1話で頭にツノの生えたルリは学校に行きクラスの人気者になります。しかしクシャミと同時に口から炎を噴き、教科書と同級生の髪の毛を焼いてしまいました。そして続く2話、ルリは母親と一緒に炎を噴く練習をしてから、祖母の家に行きます。なんてことのないドラゴン娘の日常のようにも見えますが、1話のルリと2話のルリには大きな違いがあります。それは喉が炎に順応したという生物的な変化でなく、社会におけるルリの立ち位置です。

 1話のルリは朝起きたら頭にツノが生えていましたが、それ以外は何の変哲もない女子高生でした。同級生にとって1話のルリは「頭にツノの生えたクラスメート」であり、言ってみればただの「面白人間」です。ただツノが生えただけの人間を怖がる人はいませんし、逆に好奇が刺激されルリに群がる始末です。

 しかしただの「面白人間」は口から炎を噴き、同級生の頭を焼いたりはしません。故意ではないとはいえ、ルリは人間が持ちえざる能力によって同級生を傷つけてしまいました。教科書を消し炭にした火力を思えば一歩間違えば目の前の男子は火達磨になっていてもおかしくありませんでした。炎を噴いて以降のルリは人ならざるモノの域に入りかけています。1話のルリは間違いなく人間でしたが、2話のルリは人間か化け物かの瀬戸際にいるマージナルな存在なのです。

 普通の少年少女が、ある日突然人類に害をなす化け物になってしまい社会から命を狙われるというのは少年漫画の王道です。鬼滅の刃の禰󠄀豆子、呪術廻戦の虎杖悠仁、怪獣8号のカフカ。古くは武装錬金のカズキなどなど。彼ら彼女らは何の罪もないまま化け物になってしまい「人類の敵」と呼ばれ、悪者でなく社会から正義の名の下に殺されそうになります。一方で彼らは皆高い志や戦闘力を持っており、戦って自分の生きる価値を勝ち取り、やがて周りから認められていきます。

 翻って青木ルリは口から火が噴ける以外、何ら変わったことのない人見知りの少女です。戦うなんてできないし、そもそも戦う相手もいません。そんな彼女ですから当然自分が人間なのか化け物なのか不安でたまりません。龍と子作りした母親にとって人間も龍(化け物)も大して変わらない存在ですが、今のところルリの中では龍なんてよく分からない怪物でしかありません。

 この点ではルリと母親(青木海)の間にすれ違いがあります。母親からすればルリが人間だろうが化け物だろうが変わらずルリは娘です。娘が化け物だからといって愛さなくなる事はありません。だからこそ「奇妙な生物」と軽口も叩きます。母親からの無条件の愛情をルリは感じつつも、しかしやはり彼女が欲しいのは自分が人間であるという保証です。

 炎を噴いて同級生を焼いた自分が学校に行ってもいいのか。人間でない自分をクラスメートは受け入れてくれるのか。もしまた炎を噴いて今度はもっとひどく他人を傷つけてしまったら……ルリは心配で学校にも行きたくなさそうになっています。

 そこでたまたま偶然スーパーで出会ったのがルリの親友の床です。ルリは床と会ってしまい気まずそうにします。その裏には「もし床に拒絶されたら」という不安があったことでしょう。口ごもり、冷や汗が止まりません。しかし床はルリの火傷の心配をして「また学校でね」と言って去ります。

 この言葉が何よりルリには嬉しかった。床のこの言葉は1話で彼女がツノを受け入れたのとは全く意味違います。床は、ルリが口から火を噴いて同級生を焼いた後でも「またね」と言います。これはルリにとって人間としての承認の言葉でした。他のクラスメートはまだ分からないけど、少なくとも床は自分を人間として受容してくれている。だからルリはまた学校にいく気になる。自分が人間だと思えたのです。

 床にとってルリはルリであり、彼女が人間であることは戦って証明してもらわなくても良いことです。自分が人間であることに理由はいらないし、自分は当たり前に学校に行ってもいい。友達にそう気付かされたルリは「学校いくか〜」と心の中で叫び、2話は締められます。ほのぼのとした雰囲気の中で、少女の小さな葛藤と小さな救いが描かれた良いお話だったと思います。


  
 

 

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