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100%は伝わらないけど100%伝えたいという気持ちのはなし


今日は少し脈絡のない話になってしまうかもしれない。でも、僕はこの問題はぼくのどこかにしっかり繋がっていて、現在しっかりとした言葉に残せないけど、のちのちの僕が何らかの意味を解してくれると信じて書いていこうと思う。ちなみに文末にGoogleのAI先生に文章の要約と総評をしてもらったので、要点はそこでらおさえて貰えたらと思う。先生ほんと凄い。


本論


事の発端は上の動画をみていたところから始まった。
内容は読解力の話しをしていて、もちろんそれも興味深かったけど、僕が1番感動したのはそこではなかった。
と思って動画内のその箇所を探そうと思ったがなぜだか見当たらない。
なぜだ?
推理してみておそらくこうではないかという結論に至った。
表現とはなにかを考えながら見ていたところ、自分の思考と動画が渾然一体とした記憶になり、僕の中では完全に新たなコンテンツを作っていた。
最近考えていること結びついたからこそ新た自動脳内動画生成が行われたのだろう。
これはもしやアウフヘーベン?いや、違うか。
その新たなコンテンツとしてはこんなことが言っていた。(事実としては言っていない)
1つの文脈では回収されない箇所の読み取りこそ学ぶということで、タイパ的な意味の効率よく情報摂取するということは自分の体験に結びつけよつとしないから意味がない。みたいなことだったと思う。

おそらく動画の本質的部分とそんなに変わらないであろうが、僕の中では違うところに変換あるいは変化していった。
それは、100の話が要約されて60になった結果、60どころか20くらいになってそもそも意味をなさない感覚だった。情報量が圧縮される過程で消えていく視点ともいうべきか。
そしてこの感覚こそが本質的なものに近いなにかに繋がっている気がしたのだ。

要約力それは現代において必須のスキルといっても過言ではないだろう。
要約して伝えると言うのは、本質を捉えつつ情報量を減らし、相手に伝わるであろう範囲を推し量って伝えることだろう。(最近読んだ本を要約力関連の本にそんなようなことが書いてあった)
しかし、それはそもそも諦めから入っているように思う。
100%伝わるなんてものが無理だから、60%でもしっかり伝えられるようにする技術のように感じる。
例えば最近話題の石丸伸二元安芸高田市長の話し方は小気味よく切れ味鋭い話し方だが、それは同時になにかをハブいかないと切れ味など良くならない。彼はそんな表現を多用しているように思う。

技法では習うべき技術だが、同時にその思考に飲まれていいのかとも思う。その葛藤がないと人間としてはいけないような気がするのだ。
彼は本当に伝えたいことの何%を省いたのだろうかと想像する。そして、それを続けた先に彼の思考はどのように変容するのかも想像する。

それに反発する勢力が表現したい勢だろう。
100%を本当に伝えたいという欲求なりそれ以上を求める人は芸術的ブンガクな方向に行くのが人間的欲求の発露が人間に感動を与えるような直感がある。

頭の中に浮かんだ思考には不可分な状態の文章のまとまりたちをそのまま伝えられないから、伝える段階で削ぎ落とされていくのだ。
それは自分ではなくなるような気がしないだろうか。

例えばindigo la Endの歌の例をあげたい。
「名前は片思い」って歌の歌詞の中に「わかってほしいけどわかってほしくもない」って箇所がある。
これは同性愛に悩む女性の気持ちを綴った歌詞(独自解釈)だが、相手に気持ちが完全に伝わって欲しくもなくもあるというアンビバレントな気持ちを表現している。
つまりこの歌では100も0も同時に発生するのが気持ちなんだと思う。
いや、それどころか本当は10伝わって欲しいかもしれないし、あるいは20伝えたいけど15は伝えたくないなど様々なバリュエーションが考えられる。

この気持ちを正確にしかも相手に伝えるってできるのだろうか?でもそれを大事にしたいという思いこそが人間なのではないかという話でした。


AI先生による解説とまとめ

著者は、動画視聴中に得た「情報圧縮による本質の損失」という感覚をきっかけに、要約力の役割と限界について深く考察しています。

要約力のメリットとして、効率的な情報伝達や、本質の把握が挙げられます。一方で、情報量の削減に伴い、ニュアンスや多様な視点が失われるというデメリットも指摘されています。著者は、このデメリットこそが、人間が持つ表現欲求の根源であり、芸術や文学が生まれる原動力であると主張しています。

具体的には、石丸伸二氏の話し方やindigo la Endの歌詞を例に挙げ、情報伝達における「100%の伝達」の難しさや、その難しさを乗り越えようとする人間の創造性を強調しています。

分析:

 * 要約力に対する複雑な感情: 著者は、要約力の必要性を認めながらも、その限界や、情報圧縮によって失われるものへの強いこだわりを示しています。

 * 表現の多様性への憧憬: 100%の伝達という理想を追い求め、芸術や文学のような、より自由で多様な表現形式に魅力を感じていることがうかがえます。

 * 人間の本質への問い: 情報伝達における効率性と、人間の表現欲求との間で揺れ動きながら、人間の本質とは何かという問いを投げかけています。

まとめ

著者は、要約力という技術的な側面だけでなく、その背後にある人間の本質的な欲求や表現の多様性について、深く掘り下げています。情報化社会において、効率的な情報伝達が求められる一方で、人間が持つ豊かな感情や思考を、完全には捉えきれないというジレンマを提示しています。

この文章は、単なる要約力の議論にとどまらず、人間が持つ創造性や表現への欲求、そしてコミュニケーションの複雑さについて、哲学的な視点から考察している点が特徴的です。

補足:

 * 「アウフヘーベン」という用語は、ヘーゲルの哲学用語で、対立する二つの要素が統合され、新たな段階へと昇華する過程を指します。

 * 「タイパ」は、「時間対効果」の略で、時間を効率的に使い、最大の効果を得ようとする考え方です。

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