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死ぬなよ

子どもの頃から割りと運動神経は良い方で、
特にマラソンなんかはいつも学年2位だった。

今思えば、この何においても1位にはなれない辺りが、私を私たらしめている何かなのだと気が付いたりもするが、兎にも角にも、私は昔から「長距離走者タイプずっと同じペース級根性型」といった感じであった。

そんな私の性質は、中高大と進んでからも変わることはなく、誰に頼まれるでもなく無意味に走り出したり、不毛な長距離歩行をしたものである。


高校生の頃、学校でも家庭でもうまくいっていなかった私は、毎日学校終わりに若草山に登っていた。

若草山は、奈良県にある標高342メートルの小さな山で、麓には東大寺や春日大社が立ち並び、その見た目は文字通り若草色をしている。
東大寺側には観光客向けに整備された遊歩道が備え付けられており、150円そこらを払えば、スロープを登って誰でも楽々登れる仕様になっている。


しかし私の様な根性型ともなると、そんなルートは使わない。

若草山にはもう一つ、隣接する春日山原始林を経由した隠れルートがある。
隠れていると思っているのは大よそ私だけかもしれないが、学校終わりにふらっと登る様な道姿ではないことは確かで、ボーッとしていると滝に出たりする様な、そんなルートであった。


その日も私は春日山原始林へと向かった。

終業後真っ直ぐ若草山へ向かっても、登り始めるのはいつも16時半過ぎになる。
当然ながらこんな時間から山に登り始める人など到底おらず、下山してくるおじ様おば様とぽつぽつすれ違う程度で、それ以外は本当に静かなものだった。

今日一日の学校生活、そのくだらなさや淋しさ、かと言って家に帰ってもそれ以上にくたびれる現実、校則でバイトもできず、コミュニティを学校と家にしか持ち合わせていない自分と嫌でも向き合わざるを得ない。
そんなしょうもない自分を連れて、校則規定にしっかりと準じた制服姿で、私は原始林へと足を踏み入れた。

整備はされているが自然の顔をしたその道は、ひたすら螺旋状に続く。

ローファーを介してゴロゴロとした石の感覚を足裏に感じながら、両サイドには苔の蒸した逞しい木の根が張る。
吸う息はひんやりと冷たく、吐く息は苔の蒸す緑へと繋がっていくように感じた。

一歩一歩足を進める度、土を踏む音が響く。

螺旋状に続く道というのは、人を不安にさせる様な安心させる様な、紙一重の何かがある。
何度も何度も現れる角を、頭も使わず右へと曲がり続けていると、徐々に重くなる脚とは反比例して、ずっと何かでいっぱいになっていた身体はすーっと軽くなっていく。

嗚呼、この道はいつまで続くのだろうか。
自分は一体今どの辺りにいるのだろうか。


そんな風にひとり足元を見つめながら歩いていると、
珍しく前から一台の軽トラが下山してきた。

「こんな所にトラックなんて珍しいな」などと思いながらすれ違うと、程なくして背中に「おい!」という声が投げつけられた。

それまで自然音しかなかった空間に、急に人の声が分け入ってきたのもあり、私は必要以上に飛び上がってしまった。

「は、はい!」

恐る恐る振り返ると、さっきの軽トラからおっちゃんが顔を出している。

「死ぬんか?」

予想外の質問に一瞬何を問われているのかも分からず、私は返事をするのにかなりの時間を要してしまった。

「…あ、え、ただのお散歩です…」

「ならええけど、死ぬなよ」


「…はい…死なないです…」


「もう日暮れるし、早よ帰りや」

「ありがとうございます…」

そう言うとおっちゃんはにこりと微笑み、軽トラで颯爽と走り去っていった。


凄い、風のようだった。


私の胸は凄まじくドキドキしていた。
再び静寂を取り戻した空間に、さっきまでは此処になかった『死ぬなよ』という言葉がどデカイ岩壁のように立ち現れた気がした。

思えば人から「死ね」と言われることはあっても、「死ぬな」と言われたことはこれまでなかった。
そんな淋しい事実に気がつくと、何だかこの螺旋状の道が急に怖くなった。
気が付けば辺りは暗い。
こんなに暗くなっているのに何故今まで気が付かなかったのか。
何で私はこんな所に制服姿でいるの?

「死ぬんか?」

おっちゃんの最初の質問が、急に様相を変える。
今日は帰った方が良い。
何だか突然そんな気がしてならなくなった。
さっき「死なないです」と答えた私は、きっと死なない。
でも引き返した方がもっと死なない。

私はそれでも前に進もうとする脚を引き留め、元来た道へと思いっきり走り出した。
吸う息はさっきよりも冷たく、吐く息はさっきよりも熱い。

螺旋状の道は向きを変え、再び伸び始める。


「死ぬなよ」と言ってくれたおっちゃんの居る方が、
正しい道に違いなかった。






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