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「バフンウニ!」

前を行く人が、何の脈絡もなく放屁した。

後ろを歩いていた私は咄嗟に息を止め、
なんとなく悪い気がして極力気配を消すことに順じた。
もしも誰もいないと見込んだ上での放屁なら、こんな所に出会してしまった私の方に非が有る。

しかし、本題はその音がどう考えても、
「バフンウニ!」
であった点にある。

私はこれまでこれほどまでに華麗な「バフンウニ」という音を耳にしたことがない。
(過去に自分の腹の音が「Google」だったことはある。)

こうなると、こんなにもハッキリと「バフンウニ」と鳴るからには、バフンウニを食べていないと可笑しいのではとなってくる。
仮にフレンチレストランで高級ステーキを頬張ったとして、その後に出た屁が「バフンウニ!」では、高級ステーキもやってられない。
「高級ステーキ!」という屁をしてやらねばならない。

このことを誰かに言いたい。
しかしTwitterに呟くなど言語道断、他人の放屁を軽はずみなエンターテイメントとして消費してはいけない。
かと言って、友人知人に話したとして「嘘ばっかり〜」と言われて終わるに違いない。
この繊細な機微を分かってくれる友人が私には少な過ぎる。

こんな些細な出来事を、話せる相手が案外いない。
私の孤独は此処にある。

先日、「私どうやったらモテますかね?」と年上の男性に聞いたところ、「ウンコとかオシッコとか言わなかったら良いんじゃない?」と言われグゥの音も出なかった。
オナラの話なんてもう気安く出来ない。

モテor放屁

究極の天秤に掛けた結果、
今こうしてnoteに書いている。

もしかすると、放屁した当人も「今のめちゃくちゃバフンウニだった…!」と思っていたかもしれない。
だとすると、私が咄嗟に選んだ「気配を消す」という選択肢は間違いで、「今のバフンウニでしたね!」と積極的かつ軽快に話しかけるべきだったのだ。
それをきっかけに友人になれていたかもしれない。

人は毎日、こうして様々な小さな選択を強いられる。
その中で9割間違え1割大正解を叩き出す(私の場合は)。
たったひとつの放屁から、人生の奥深いそんな部分にまで想いを馳せてしまった。
まだまだ長い人生、こんな調子で保つだろうか。

まぁ、分かってくれとは言わないが。



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