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ペラペラな人生 肉厚な牛タン

牛タンが食いてえ。

思えば去年の春から、ずっと同じことを言っている気がする。
不思議なもので「牛タンが食いてえ」という想いは、決して他の何かで埋まることはなく、ずっと欲しかったバッグを手に入れても、どれだけ好きな人にハグをしてもらっても、牛タンは食いてえ。

退勤時の電車の中、朝目覚めの瞬間、上司に注意されている最中など、生活の中で牛タンが食いたい瞬間というのはいくらでも訪れる。
私はその都度、数少ない友人たちに「牛タン食わせろ」といった脅迫メッセージを送りつけているのだが、未だその願いは叶わずにいる。
おおかた嫌われているのだろうと見積もっている。

しかし昨年の秋頃、少し牛タンに近付きかけた時期があった。
いつもの様に「牛タン食わせろ」と友人に連絡を入れると、珍しく「良い牛タン買って家で呑もうや」といった具体的な返事が届いた。
こんなのはもう牛タンが食えたも同然、私は著しくテンアゲであり、きっと初めて他者と「牛タンが食いてえ」タイミングが合致したのだとはにかんだ。

一先ず「よっしゃ決まりや」とだけ送ると、
友人がすかさず、

「薄切り、厚切り、どっち派?」

と送りつけてきた。

もちろん薄切りに決まっている。
あのペラペラで、向かいに座る人が透けて見えるほどの牛タンが一番に決まっている。
葱は巻けるし、米まで巻ける。異論は認めない。

「薄切りに決まってるやろ」



「やんな!やっぱ分かってるわ!」

安堵。
かなり強気な返事をした手前、「は?厚切りやろ」と言われたらどうしようかと内心ビクビクしていた。
類は友を呼ぶ。やはり薄切り牛タン好きの周りには薄切り牛タン好きが集まるように世の中なっているらしい。


私はそんな込み上げる嬉しさを抱えながらも、脳内ではずっと片隅にしまっていた、ある記憶を引っ張り出そうとしていた。


人生で一度、本当は厚切り牛タンを食べたことがある。

社会人2年目の冬、
お仕事でお世話になっている方に連れられ、大阪心斎橋にある牛タン屋さんへ呑みに行った。
牛タンと聞いていつものあのペラペラピンクを想像していた私は、出てきた瞬間あまりの衝撃に目の前が真っ暗になった。

コロッケの様な茶色い塊。
切り込みを入れると中はすこーしばかり桃色を留めており、噛むとコリっとした抵抗される食感が纏わりつく。
おいしい、、私の知らない有機物、、未知との遭遇、、、

、、、違う!!!
これはもう舌だ!!!!!
牛とのディープキスだ!!!!!


これは火の通ったただの舌だと認識した途端、恐ろしいほど味がしなくなった。
舌を舌で味わうなんてどんなプレイだ?
怖すぎる。



私の様なペラペラな人生を送ってきた人間には、厚切り牛タンなどとてもじゃないが耐えられん。
牛タンに限らず、世の中の偉い人は何故だか知らんが皆分厚い肉を食っているし、それにいちいち慄いたりなんかしない。
これはつまり人生のぶ厚さと肉の厚さは比例するに違いなく、向かいの人が透けるほどの牛タンが堪らんなどとほざく私は、何者か。
情けねえ、、、




「いつするー?」

友人からの返事に何だか答えることができぬまま、2022年の冬が佳境を迎えようとしている。
私は今年もペラペラの桃色だと思う。





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