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ミュージカル『ファンタスティックス』が楽しすぎたという思いを詰め込んだ感想(「“有名な”エル・ガヨ」のことなど)

 「ファンタスティックス楽しかった!!」の気持ちと、エル・ガヨについてぐるぐる思いを巡らせていた結果と、舞台に立つ愛月さんやっぱりめちゃめちゃに好きすぎてどうしようという恒例の思いを詰め込んだ感想です。言いたいことを140字にまとめることがあまり得意ではないので、自分の呟きを引用しながらnoteに書きました。
※歴史ある演目ですが、私は今年の東宝版が初見でした。
※愛月ひかるさんのファン目線で書いています。

https://www.tohostage.com/fantasticks/

1.最…っッッ高に楽しかった!!!

 シアタークリエに伺えばいつでもこのカンパニーが迎えてくれるのが嬉しくて、当日券で駆け込むことも多く、当初の予定よりも多く観劇した。日比谷に行けば、公演ポスターが所々に飾られ、シャンテやクリエの入口ではムービーが流されて。好きな作品、好きな人が出ている公演の期間はなんて幸せなんだろうとずっと浮かれてた。前楽の中止でどうなることかと思ったけれど、なんとか千秋楽は上演出来で本当に良かった。これまで愛らしいハックルビーを演じてきた斎藤さんが残してくれた見事な余韻と、24時間以内にハックルビーを仕上げてきた丹宗さんの愛に溢れた素晴らしい技術と共に、皆の思いが集結して、奇跡のような空間だった。

8人構成について

 世界で何度も上演されている名作なのに、まるで当てがきのようにも思える配役の妙。それにしても、こんなに長く愛されている作品として、シンプルで温かみのある内容なのに、観劇後にこんなに深く考察してしまうのは予想外でした。登場人物は8人なのに、役柄に負けない豊かな個性を持ち合わせてるので毎回本当に楽しい。そして、8人しかいないのに、世界の見え方がすごく複雑に感じる、①マットとルイーザ、②ハックルビーとベロミー、③ヘンリーとモーティマー、④エル・ガヨ、そして⑤ミュート。まるで5つのベン図が存在していて、交わる関係もあれば、そうならないものもある。パワーバランスもそれぞれの関係で異なり、両家の子供達も父親達も思いのままに操るエル・ガヨだけど、ヘンリーとモーティマーには敵わない時もある(笑)。そして、①、②の皆さんは、セリフがない状態で舞台にいるときは完全に役名ではなく芸名の存在として端の席に腰掛けていても、セリフのないシーンのエル・ガヨは、エル・ガヨとして舞台に存在し、愛月さんに戻ることはなくて。(でも、モーティマー達のせいで愛ちゃんに戻っちゃうのも非常に可愛かったです…笑)それでも、8人とも客席に語りかけてくれる。ストーリー自体が誰の心にも刺さる話だと思うけど、それだけじゃなく、客席に直接訴えかけてくれるような演出だからこそ、益々引き込まれたのかな。

可愛らしい舞台セット、魅力的な楽曲

 セットがとんでもなく可愛い!!初日にクリエの地下に降りて舞台が見えた瞬間の高揚感が忘れられません。『何を払うか次第だ』のエル・ガヨの「ゴージャスなセット」の歌詞に合わせて電飾が付くのも良かったな。まるで舞台上がサーカス小屋のようで、ファンタスティックスという作品に様々な形で携わっていた皆様は旅一座、そして我々もその小屋の客席にいるような気すらしてくる。出番を終えたキャストが完全には捌けずに舞台上で残ってくれる演出も相まって、だからこそ“劇中劇”のような要素も感じられたのかな。『Round and Round(ぐるぐる回って)』で、エル・ガヨがまるで恋人のようにルイーザの手を取って始まるのに、結局は操り人形のようにルイーザの糸を引くような仕草、最後はショーのフィナーレのような佇まいでもあって、最終的にエル・ガヨがサーカスの支配人に見えてくるような流れもすごく面白かった。キャスト自らが携わる影絵も毎回見事でした!!
 ピアノ、コントラバス、ハープ、パーカッションで織りなされる楽曲、本当に素晴らしかった。4人(5人)が集まれば、プロローグの繊細な旋律から壮大な大ナンバー、そして背筋が凍るような効果音まで、どんな音楽も自由自在。音源を売っていただきたいくらいです。
 楽曲もすごく耳に残るものばかりで本当に大好きでした。マットとルイーザは旋律が綺麗が甘いデュエットを担当して、父親達の軽快なナンバーにはほっこりし、彼らに歌で介入してくるエル・ガヨ。『何を払うか次第だ』では父親達とコミカルに狂言誘拐を企み、『I Can See It(僕には見える)』ではマットが抱く外の世界への憧れをさらに高揚させ、『Round and Round』では、ルイーザに外の世界を見せる(ただしマスクをした状態なので本当の外の世界ではない)。
 旋律を綺麗に聴かせてくれるマット役の岡宮さんとルイーザ役の豊原さん、眼福だけでなくすごく耳福。1回目の『Metaphor』がかなり好きで、お互いの家のポールに身を預けながらも、愛に悶え相手を求めるような若さ、近づいたり離れたりする距離感の緩急。10列目くらいのセンターブロックで見た時の景色、舞台から近すぎないから2人の距離感の絶妙な動きがすごく感じられて楽しかったなぁ。そして、この時点で既にマットは「ルイーザを愛する自分」に酔い、ルイーザは「マットに愛される自分」に酔っていて、愛が通じ合っているようでそうではないこの現状が、2幕冒頭の太陽の下で起こる悲劇の伏線になっていたのかもしれないな。
 何度かTwitterでも呟いたけど、楽曲のリプライズの使い方がすごく好き。1幕の『Metaphor』でルイーザが「I am Love」と歌っていたのが2幕のリプライズで「You are Love」に変わる心情の変化の見せ方が素晴らしくて!また、『I Can See It』で、あの道の向こうには何があるのかと好奇心と希望に満ちているマットが、旅を終えて歌うリプライズでは歌詞が変わるのも好き。しかもそれは旅に出る前にエル・ガヨが歌っていたパートで、旅に出た結果2人のパートが真逆に入れ替わってることに気づいた時、ワクワクしたなぁ。対比的な描かれ方がすごく好き。たとえマットがエル・ガヨに知恵や体力では敵わなくても、2人のエネルギーが拮抗する『I Can See It』が大好きだった。ロミオとジュリエットの『僕は怖い』のような、一対一の関係にひりひりと胸を焦がす時間が本当に楽しい。

2.私の考えるエル・ガヨ

 作品紹介において「登場人物達を時に翻弄し、導く流れ者」と枕詞を付けられていたエル・ガヨ。愛月さんのファン目線としてはそれはもう最高すぎるお役だったので、究極のハッピー期間を過ごした。オフで見せてくれる、きゃわきゃわできゅるんきゅるんなナチュラルボーン姫すぎる愛ちゃんも大好きですが、もう私は舞台の上に立つ愛月ひかるさんという存在に激しく陶酔してるようなところにあって、特に約1年ぶりに舞台の上で役を全うする姿だったので… それはファンタスティックス期間で劇場に通い詰める中でとてもよくわかった。初日観劇後、あ、これはチケット追加するやつだな、と理解した。華やかな立ち姿、美しくて魅惑的な所作(ハットの取扱いがやっぱりプロだった)、もう私にとってエル・ガヨは夢のような存在でした…追いかけるのが楽しすぎるんですよ、愛月さん。ハックルビーに斬られる“木の枝”役の手つきの美しさ、インスタで「あんましないw」と投稿されてたグランジュッテ、「なんじゃこりゃあああ…!!!」で偽物の血を流しながら派手に暴れてなかなか死ななくてついに息耐える(フリをする)と客席から自然に大拍手が生まれる『ギャングバレエ』、かりそめのハッピーエンドに導いて最後の仕上げのように指揮をする後ろ姿、「これで1幕は終わり、インターミッション!」のウィンク…太陽の下でマットとルイーザ達の関係が壊れていくのをじっと見つめる佇まいの美しさ、マットとの決闘、ルイーザへの3回のキス… 好きなポイントが多すぎてやっぱり書ききれない(笑)エル・ガヨの定位置としてこよなく愛した上手前方席だけど、最前列に座ることができた日の光景と思い出は絶対忘れたくなくて、どうにかして冷凍保存して時々取り出して食べられる方法を模索中(?)。愛さんの長いまつ毛にかかる照明によって生まれる影が綺麗だった…とんでもない席に座っている時って、ほんとIQ5の感想がばんばん湧いてくるの。圧倒的美しさに目も脳もやられてしまったからですね、はい。

エル・ガヨの立ち位置

 エル・ガヨってすごく異質な存在。数年前の上演時の情報(鹿賀さんがエル・ガヨを演じられたバージョン)を検索していたら、「ナレーター(エル・ガヨ)」という表記を発見。やはり狂言回し的な要素が強いキャラクターであることを再認識し、今回も大きく分けて2つの姿を愛月さんが演じ分けてくれたと思ってる。そしてその境界線のスイッチは、付け髭のオン、オフだったのかな。
 「凄腕の男を雇ったんだ」とハックルビーが“ファンタスティックな方法”をベロミーに提案するシーンで「御両人!」と登場する姿で初めてお目見えする付け髭のエル・ガヨ、このシーンを皮切りに登場人物にどんどん絡んでいき、終盤であえて客席の前で付け髭を外すところで、ナレーターに戻ると思ってる。
 最終的に行き着いた、私が考えるエル・ガヨの正体。今作で愛月さんが演じたお役のことは「ナレーターが『“有名な”エル・ガヨ』(劇中のエル・ガヨの明細書のとおり)を演じていたけど、結局は狂言誘拐だけでなく、依頼内容以上のものを提供してくれた存在。マットやハックルビー達が生み出した、“劇中劇”のキャラクターのような存在」として捉えました。(いつか愛さんの公式見解も聞いてみたいです…!)

 でも、愛さんがプログラムの中で仰っていたエル・ガヨ像がとても好きで…初日明けてすぐの頃の私にはなかった観点だったので、その次からの観劇がすごく深まった。それは次の項目で…!

エル・ガヨの役割(「悪い人」=「憧れの人」=「ヒーロー」)

(開幕直後だったので、ふせったーを使っていました。)

 プログラムの豊原江理佳さんとの対談の中で、愛月さん自身が語られるエル・ガヨの捉え方。プログラムからの引用だけど、「マットとルイーザが物語の最後に向かっていく中で、自分がどう演じてお2人にどう受け止めていただくかも、すごい難しいところ」だなと思っているというお話から続く、「『この人には敵わない』と思っていたマットも、『この人は素敵だな』と覆っていたルイーザも、思っていたものと違ったんだとわかる瞬間」と言う表現。これを私は「『この人(エル・ガヨ)には敵わない』と思っていたマットも、『この人(エル・ガヨ)は素敵だな』と思っていたルイーザも、“思っていたものと違ったんだ”とわかる瞬間」と解釈した。2人を翻弄して導く、というのは公式の作品紹介の表記のとおりだけど、2人に“思っていたものと違ったんだ”と思わせる存在、もっと言うと2人に“期待を抱かせてから幻滅させる存在”というのは、かなり大きくて、憎い存在だなと思って。エル・ガヨ自身が2人の壁になり、乗り越えた2人に希望を提示するの。
 また、何度も登場する「悪い人」という表現。「私の悪い人」とルイーザがエル・ガヨに呼びかけるし、メンツを潰されたマットのために彼に掴みかかろうとするもエル・ガヨに抵抗できなくて「あなた、とっても…!」って言葉に詰まるルイーザに「悪い人?」って余裕で答えるエル・ガヨもすごく好き。「悪い人」を自認する罪深さたるや。演出の上田さんがふと思いつかれた表現ということだけど、こんなに含みを持たせた絶妙な表現、素敵すぎて。

 ルイーザがエル・ガヨにいう「悪い人」には、例えば9月の雨降る夜にマットと会う時の「こんなところをパパに見つかったらどうしよう」という気持ちに近い、背徳的な要素があると思ってる。今のルイーザにとっては手が届かない世界にいて、(木に登るシーンでも象徴されるけど)ルイーザには見えない景色が見えているエル・ガヨに憧れる、背伸びした気持ちが甘酸っぱくですごく可愛い。そして結局エル・ガヨは、今後自分の評判がどうなろうと構わないほどの衝撃をマットとルイーザに与えて去っていくけれど、最終的に両家を真のハッピーエンドに導いてくれるので、「悪い人」と呼ばれるのを楽しんでるヒーローだと思ってる。そういうところこそ、少女の心を弄ぶ「悪い」ポイント。本当にずるい人だ…。

 そして、エル・ガヨが全てを語らない余白のあるキャラクターだったのも、考察欲を刺激させられまして。マットとルイーザ、そして父親達の自己紹介タイムをあんなにたっぷり設けてくれた張本人こそ、ナレーターとしてのエル・ガヨ自身。更には俳優2人の身の上話までも(この2人は自主的に話してくれたけど!笑)。それなのに、自らのことはほとんど語らない。ルイーザに自分の過去を少しだけ語る、木の上(梯子の上)のエル・ガヨのシーンがものすごく好きだったけど、狂言回しに徹するときはあんなに饒舌だったのに、彼女に質問攻めされても一言ずつしか返さないの。良い男は必要以上のことは語らないので、と悟らせてくれる感じ。

 成果と報酬で成り立つ関係だから、エル・ガヨの喜怒哀楽の感情はどこにも存在しなくても不自然ではないと思っていたけれど、『Round and Round』を歌い終えてからのルイーザとのひと時は、最高に甘いのに、彼女の心がマットに戻ろうとすることに少し寂しさを覚えたようなエル・ガヨの表情がかなり刺さって…流れ者の彼にも人の心はあって、情が湧くことはあるんだな、とエル・ガヨ側に立って考えてしまったり。

 対象箇所を変えながらも、ルイーザに3回キスをするけれど、徐々に甘い雰囲気になっていくのも好きすぎる展開。ルイーザの念願だった「目の上にキス」に応じるエル・ガヨ自身も目を伏せるような構図、おとぎ話のひと場面のようで夢夢しかったな…。

「宝塚の男役出身だから」だけではなく「愛月ひかるさんだから」

 何故たわわに実った小麦が刈り取られるのか、何故冬の苦しみから春が生まれるのか、何故成長に痛みが伴うのか。そして、何故男性役なのに女性が演じているのか。
 リアルな男性ではないからルイーザが夢中になっても生々しくならない、宝塚の男役出身だから少女が憧れるようなカッコ良い見せ方はお手のもの… 今回の配役には色々な効果があったと思うけど、宝塚の元男役の皆さんの中でも愛月さんが演じてくださったことにすごく意味があると思ってる。贔屓目も甚だしいけど、過去に演じてきた役を彷彿とさせられることも多くて楽しいし、「こんな愛月ひかるを見たかった」の詰め合わせパックのようなエル・ガヨだけど、エル・ガヨの麗しさも強さも、厳しさも温かさも、全て愛月さんの魅せ方のうち。彼女の手のひらの上。彼女ならではの表現の引き出しの多さが、現実とは縁遠いフィクションの世界からやってきたエル・ガヨの説得力を高めてる。ちなみに今回愛さんの「声」の使い分けがすごく好きでした。男役時代以上に声をぐっと低めてマットとデュエットしたり、ここぞという時にはドスを効かせたり、独り言のようなモノローグでは恭しい声色に変えたり、ちょっとしたアドリブの時には普段の愛ちゃんのトーンに近づいたり… 立ち姿だけじゃない、声も魅力的な方だと改めて惚れ惚れした。男性役を演じたのは事実だけど、「(宝塚の)男役」という型か抜けて自由になると、こんな多様な声を聞かせてくれるんだな、とすごくわくわくしたし、心地良すぎた。あと私は「付け髭のないエル・ガヨ(ナレーター)」の性別は男性だったとは限らないと思ってて、この中世的な魅力も大変にツボでした。性別の概念を軽やかに飛び越えて素敵に演じてくれるの、大好き。

3.『Try to Remember』

 「さあ 思い出に浸ろうよ 今 ほら」と歌いかけてくれる歌詞が印象的な、まるでこの作品の主題歌のようにも思えるこの楽曲。作品の冒頭とラストシーンに歌われていて、観劇後、その意味がすごくわかるような気がした。マットとルイーザのように、ほろ苦い経験をした上でたどり着いたハッピーエンドを思い出してみよう、という人生のテーマでもあるけど、千秋楽に豊原さんがお話しされていた、この作品がこれからも近くで人生を見守ってくれる、という思いが本当に素敵で。「人生のあの頃を思い出して見よう」という普遍的なテーマだけでなく、公演期間中にこの作品に浸った者達に寄り添ってくれる「ファンタスティックスを思い出して見よう」という思いも重ねられているのであれば、こんなに素晴らしいことはないな、と涙した千秋楽でした。

 そしてそして、一座での全国ツアー、心待ちにしています!楽しい思い出をありがとうございました!!そして、舞台の上で役を生きる愛月さんに、これからもまたお目にかかれますように。

 (千秋楽から1週間も経ってしまいましたが……愛月さんが次の舞台に立たれる前に、ベルベル・ランデブーへのご出演前に滑り込みで投稿✍️笑 エル・ガヨを演じていた愛月さんが、千秋楽の翌週には“オールフィーメル”の舞台に出演されるこの鮮やかな展開、やっぱりカッコ良すぎるなぁ。何故女性が男性役を演じるのか、なぜ男性役を演じた後に女性役に戻れるのか…答えは愛月ひかるだから。ってエル・ガヨの語るパラドックスのようなことを考えてます。おわり。)

※R4.11.23
絶対に許されない誤字に気づかず投稿していました。推敲が甘く、大変申し訳ありません。お詫びして訂正致します。ご指摘ありがとうございました!

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