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一応暮らせてはいるけれど

 私は掃除と片付けができない。
 家はきれいで清潔なほうがいいと分かっているのに、いわゆる汚部屋になるまで手を付けない自分自身に生まれてこのかた悩んできた。しかし、今日ようやく真相の一部が分かった気がした。多分私はずっとうっすらセルフネグレクトしているのだと思う。

 実家住まいの頃は母が勝手に私の部屋に入って、掃除したり片付けたり捨てたり(!)していたから、そこまで凄まじい状態にはならなかった。しかし現在夫と住んでいる家はわりとマジで凄くて、夫はよくこの環境下で生活できているなと感心するレベルだ(他人事みたいに言うな)。ちなみに夫は今まで一度も私の掃除できなさ・片付けられなさを責めたことはないし、かといって私の不出来を補うような掃除や片付けをするわけでもない。
 しかし先程、いよいよ私の掃除できない・片付けられない問題について話し合いがなされた。夫には「あなたがあなたの私物を片付けられない状態を見ると、自分(夫)も大切にされていないような感じがする」と言われた。その言葉を聞いて直感的に、「ああ私は自分を大切にできてないから自分のものを大切にできないのだ。つまりそれは片付けられていないものを買ってくれた夫をも大切にできていないことにもなるのだな」と理解した。同時に夫に対して申し訳なさを感じた。で、「これってもしかしてセルフネグレクトでは?」と思い至ったわけだ。


 もし私の掃除できなさ・片付けられなさがセルフネグレクトによるものだとするならば、母の無許可掃除は暴力だったのかもしれない。実際、ただ勝手に掃除をしてくるだけではなくて、怒鳴りながら私の物を捨てたり、反対に満杯のゴミ箱をブチ撒けられたり、出しっぱなしの本やCDを投げて壊された日もあった。
 一方で当時の私は、母から無許可掃除の暴力を受けるたびにちょっぴり安堵していた気がする。それは単に私が母との支配的関係に依存していたからに他ならない。尊厳と引き換えに掃除された部屋を見ると、悔しいかな私が頑張るよりよっぽどきれいだった。
 物心着いたときから繰り返されてきたこの一連は、いつしか「私は自分一人で掃除・片付けができない」「無許可掃除の暴力を受けないと私の部屋は綺麗にならない」という刷り込みになり、掃除・片付けに対するやる気を根こそぎ奪っていたのかもしれない。

 今両親とは離れて暮らしてるし、ありがたいことに夫がコミュニケーションの緩衝材になってくれてるから、母からの支配力は薄れている。とはいえ入籍した途端「お前らの家に行かせろ。娘が住んでる家がどんな環境なのかを親が見るのは当たり前だ」とか言い出すからドン引きするばかりだ。もちろん私主体でやんわり拒絶している。これまでは、とにかく私たち夫婦のプライバシー領域を侵略されるのが嫌だから拒絶していたが、実際には無許可掃除の暴力に再び遭うのが怖くて、また無許可掃除の暴力によって自身のセルフネグレクト性を再認識させられてしまうことが怖いから拒絶したくなるのだと思う。


 ぶっちゃけ「鶏が先か卵が先か」だし、ただの怠惰からくる言い訳かもしれないけど、この話は片付けられたらどうにかなるって問題ではない気がする。あらゆる面において自分に関心があるようでない、心身が目に見えてすり減るまで自分の世話をしない私の心性が改善されない限り、いくら頑張ってもこの家の汚さは改善しないだろう。

 今更もう「自己肯定感を上げたい」とか「自己実現したい」とか思わない。これ以上自分の心身をすり減らすことなく生きられれば充分だ。最低限の精神安定と家の清潔だけ保ちたい。
 でも今の私には物一つ動かすにもアクセルを全開まで踏まねばならないし、自分に関心を持とうとか、もっと自分の可能性を探ってみようみたいな気持ちがまったく湧かない。一年半ほぼ毎週カウンセリングに行って、色々自分について話したり考えたりしてきたはずなのに、肝心の部分はまったく進歩していないのが本当に悔しい。

 早ければ4月末から夫は3ヶ月間の海外出張に行く。それまでには少しくらい変化なり進歩なりがないと私は部屋ごと腐乱する。これ以上凄くなるのもまずいので、とりあえず明日は無理矢理にでも部屋を片付けつつ、今後についてじっくり考えてみようと思う。

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