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映画鑑賞記録『THE FIRST SLAM DUNK』(2022・東映)2023/1/27・31

THE FIRST SLAM DUNK
日時:1回目 2023年1月27日午後〜夕方
   2回目 2023年1月31日午後〜夕方
場所:どちらも映画館
   1回目 後方センター(一般)
   2回目 ドセンター(IMAXレーザー)


 井上雄彦作品は、中学生のとき父の書斎で読んだ『リアル』と少々の『バガボンド』しか知らない。しかし各方面の友人知人が熱狂し、毎回聴いているポッドキャストでも「スラダン全く知らないで観たけど最高だった」「バスケしたくなった」と絶賛されていたので、どうしても観たくなってしまった。
 結果的には原作をほとんど知らなくても充分楽しめた。当然原作を読みたくなったし、お気に入りのキャラクターも見つけられた。それ以上に、人生で初めてバスケを面白いと思った。


バスケがしたいとは思わなかったけどバスケに興味湧いた

 運動が心底苦手な私が知る「バスケ」は、中学〜高校生の体育と当時読んでいた『リアル』のみ。『リアル』は(私のなかでは)もはや車椅子バスケ漫画以上にヒューマンドラマであるため、バスケや車椅子バスケ自体に興味を持つことはなかった。
 そんなスポーツ毛嫌いマンの私が、素直100%で「バスケかっけぇ!!!!」と思った。スラムダンクに影響されてバスケを始める子がいっぱいいるという逸話は何度も聞いたことがあったけど、こりゃ納得だわな……。運動神経の都合により私自身がバスケをする気は起きなかったが、バスケ漫画の「バスケ」の部分に興味を持つことができて嬉しかった。あとバスケがあんなに身体接触を伴うスポーツだったとは知らず驚いた……。格闘技みたいだなと思った。


────【注意】以降ネタバレ有【注意】────


「含みのない」表情

 井上雄彦の描くキャラクターの顔立ちは、眉毛の生え方、唇の厚み、眼窩の深さ、鼻筋の高さなど、ひとりひとりの造形が細かく魅力に溢れている。顔のパーツが繊細に描かれているからこそ、複数の感情が混じり合う瞬間や喜怒哀楽のあわいがリアルに表情できるのだと思う。
 本作の原画制作の段階で、井上雄彦は「含みのない感じで」「目の開き抑え気味に」など、キャラクターの表情を抑制する指示書きをよく残していた(『THE FIRST SLAM DUNK Re:SOURCE』参照)。作者自身=井上雄彦がキャラクターの個性や魂を厚く信頼していないとできない技法だと思う。「含みのない」表情から生まれる感情の余白に、鑑賞者はさまざまな思いを投影することで、作品への没入感をより一層深められる。


沖縄の海・湘南の海

 作画の中でとくに印象的だったのは、湘南の海と沖縄の海の描き分け。波打ち際や海辺のカットによって時制が切り替わるシーンでは、砂浜の色と波の形だけで場所が分かる。砂鉄が多く黒っぽい湘南の砂浜と、珊瑚や貝殻で白っぽい沖縄の砂浜との対比が美しく、思わず見入った。
 リョータやリョータ母が自分の本心と向き合ったり、感情を露わにするシーンは必ず海で描かれている。宮城家にとって海は過去と現在、ニライカナイとして見るならば父やソータがいるあの世と、遺された自分たちがいるこの世の境界が、最も近く感じられる場所なのかもしれない。だとすればやはり、湘南でバスケへの熱意が折れたリョータは沖縄の海で(厳密には岸壁の秘密基地で)兄との交わりを思い出しながら泣かねばならなかった。リョータ母も、ソータの死やソータの享年を越えて成長したリョータの存在を受け容れるためには、沖縄ではなく今いる湘南の海でリョータからの手紙を読まねばならなかった。これらの演技がもしそれぞれ逆の環境で行われていたら、物語の展開が全く違うものになっていたはずだ。


スムーズな時制の切り替え

 過去と現在のエピソードをほぼ同量だけ描き、交互に進めているのに一切混乱がなかった。
 鑑賞当時、私はアーシュラ・K=ルグウィン『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』の第6章、時制の切り替え描写を練習する課題に取り組んでいた。何度書いても、いつどのタイミングでどんなふうに時制を切り替えるべきか掴めない。限られた文字数の中で2回も時制を切り替え、しかも読み手を混乱させないように話を進めるためには緻密な構成が欠かせない(私の場合)。限界まで行き詰まっていたところで、偶然にもこんな見事な脚本をインプットすることができとても嬉しかった。
 本と違って、映像は一旦進んだら前に戻れない。タランティーノ『PULP FICTION』のようにあえて時制を混乱させる作り方もアリだけど、一つ一つのエピソードがきちんと構成されているからこそできる技だ。
 井上雄彦の、いちストーリーテラーとしての本領を見ることができた。


お気に入りのキャラクター

石井健太郎
 鑑賞中、名前を知らないがゆえに付けたあだ名は「もう一人のメガネくん」。いいキャラ! 念を送ったり突っ立って号泣したり、私と似た感性を持っている気がした。もし同クラだったらそれなりに仲良かったかもなと思った。

沢北栄治
 鑑賞中、名前を知らないがゆえに付けたあだ名は「神社参拝ニキ」。利益や見栄ではなく、今の自分に足りないものが与えらるよう祈り、足りないものとして与えられた敗北を受け入れる謙虚さ、かっこよすぎる……。

三井寿
 好き(絶命)


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 正直こんなに長文の感想が書けるとは思わなかった。鑑賞からしばらく経ってしまったが、今後ゆっくり原作を読み進めていきたい。

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