「セッション(Whiplash)」*移転記事
*はてなブログからの移転記事です。
*ネタバレあり。
結論から言えば、この映画は最高だ。
原題「Whiplah」はジャズのスタンダードだそうだ。その名の通り青春ジャズ映画の範疇であろう。
青春音楽映画のクライマックスはライブ、と相場が決まっている。「天使にラブソングを」「スクールオブロック」「ピッチパーフェクト」どれも名作で、他にも数えきれないほどあるが、この映画はそれらを過去のものにしてしまった。
今後もそういう映画を観るだろうし、感動もするだろう。それでも「セッション見ちゃったしなぁ」といってしまうだろう、と思わせる衝撃があった。
J・K・シモンズの怪演、マイルズ・テラーの流血ドラム(本当に流血しているらしい)、ジャズの名曲、どれも魅力的だが、あえていえば(またあらゆる評にいわれているように)「セッション」の全てが約10分のクライマックスにある。
わずかなセリフ。
全てを語る表情。
怒涛のドラムプレイ。
演奏終了と同時に暗転。
暗転の瞬間。前頭葉と脳髄と松果体と心臓と…精神が存在するといわれるありとあらゆる部分にすさまじい衝撃が襲った。
上映時間106分のうちクライマックスを除く96分はこのカタルシスのためにある。
フレッチャー(J・K・シモンズ)の不条理なしごきも。
アンドリュー(マイルズ・テラー)が狂気に染まっていく過程も。
文句なしのアカデミー助演男優賞を獲得したJ・K・シモンズ。
彼が演じたフレッチャーという役はどのような人物なのか。
名門シェイファー音楽院で最高の権威を誇る指揮者で、最高のスタジオ・バンドを率いている。
「でははじめよう。Whiplash(鞭打ち)。」
その言葉通り、彼はアンドリュー達バンドマンに次々と暴力的な言葉(時には直接的な暴力)を与える。
「テンポ!テンポ!正しいテンポを刻め!!」
フレッチャーがこだわるのは「音程」と、そして「テンポ」だ(指揮者なら当然であるかもしれないが)。
その二つに共通するのは「公」の性質である。
音楽経験者なら分かると思うが、一人の「テンポ」の乱れはバンドセッションの乱れを誘発するし、「音程」の乱れは、それがセッションであればなおさら目立ち、バンドの崩壊を招く。
名門音楽院の最高権威でテンポと音程に異常に拘る指揮者。
ここに見えてくるのは音楽のオーソリタリアニズム、〈公〉的な性質である。
しかしフレッチャーはこうもいう。
「周りの評価は気にするな。」
「「私の」バンドだ、「私の」バンドの邪魔をするな。」
ここにはフレッチャーの<エゴ>イスティックな側面が垣間見える。
音楽(芸術)には<公>の性質と<私>の性質がある。
音楽家やアーティストなど音楽(芸術)を生業にするものは皆、<公>的に認められた者たちである。しかし音楽(芸術)を楽しめるのはそのような人物だけではない。それらアーティストに評価を与えるのは畢竟個人の主観である。そも音楽とは自己表現である。学校の合唱コンクール、趣味で弾く楽器、最近ではヴァーチャル・アイドルに歌を歌わせることもできる。これらはすべて音楽の<私>的な側面である。
この音楽の二面性を体現したキャラクターがフレッチャーなのだ。
彼は音楽の外では他人を気遣う温和な老人として描かれる。また自らが演奏を披露する場面では、非常に穏やかな表情を浮かべる。
しかし一旦バンドの前に指揮者として立ったとき、彼は豹変を見せる。何故彼は演奏者を攻撃するのだろうか。それは音楽という自己表現が彼の〈エゴ〉を呼び覚ますからだ。自らが演奏をするならばその〈エゴ〉を充足させることが出来る。しかし指揮者として演奏者の、つまり自己表現によって今まさに〈エゴ〉を充足させようとしている者を目の前にすると、自分もそうしたい!自分ならもっとうまくやれる!という彼の〈エゴ〉が、言葉や暴力として発露するのだ。しかしそれは彼の教師としての〈公〉的な理想、第二のチャーリー・パーカー、第二のバディ・リッチを育てあげるという理想と対立する。その矛盾が表現されているのが、フレッチャーのかつての教え子ショーン・ケイシーが亡くなり、フレッチャー自らが見出したショーンがどれほど優れた演奏者であったかをバンドマンに涙ながらに語るシーンだ。
「学院の落ちこぼれであった彼を私が見出した。」
「彼は素晴らしい演奏者だった。」
「だが亡くなった。〝車の事故〟によって。」
後にショーンはフレッチャーのしごきによって鬱病を患い、自殺したことがわかる。彼は何故嘘をついたのか。保身だ。自分が育てた素晴らしい演奏者を皆に知ってほしい。しかし自分の権威を失うわけにはいかない。彼は強烈な自我を持ちながら、〈公〉に囚われているのである。
ではアンドリューはどうか。
シェイファー音楽院の一年生。
毎日ドラム漬けで、偉大なドラマーになることしか考えていない。
友達もいない。彼が劇中ドラムを通さずに関係を構築する人物は、家族を除くとニコル(メリッサ・ブノワ)だけだ。彼女は特に何の目的もなくたまたま受かった大学に入り、映画館のバイトをして小遣いを稼ぐ、〈公〉に溶け込むステレオタイプな大学生だ。アンドリューは彼女と付き合うことになるが…
彼がドラム漬けを突き通すために彼女に吐くセリフははっきりいってかなりイタい。
「君は僕に、会いたいというだろう」
「僕はその時間さえもドラムに充てたい。」
「僕はイライラしてくる。」
「そうすると口論になる。」
「そうなれば君も気分が悪いだろう。」
「だから別れよう。」
要するにアンドリューの世界認識は、他者性を欠落しているのだ。アンドリューの世界はアンドリューの想定でしか動かない。他者性という防護服を失い、自分が世界に直接晒されている。この人物像は、まさに今所謂「大人」たちが批判する所謂「若者」そのものである。
彼はフレッチャーのしごきに曝されて狂気に陥っていく中で、スタジオ・バンドのライバルたちにも暴言を吐くようになる。
「「僕が」主奏者だ。あのクソ野郎をドラムに近づかせるな。」
そう、彼が体現するのは狂気に近い<エゴ>である。
しかし、彼は音楽界の<オーソリティ>シェイファー音楽院に通い、音楽界の<オーソリティ>フレッチャーに学び、そして自らも音楽界の<オーソリティ>になろうとする。彼はフットボールで活躍した大学生の親戚とのディナーにおいて、こう話す。
「君の大学は三流じゃないか。プロにはなれない。」
「僕はプロになる。皆が認める偉大なドラマーになる。そうなるならば死んでもかまわない。」
他者に認められたい。
他者性が失われた世界でも、得体の知れない他者が否応なく存在する。
彼もまた、<公>と<私>の矛盾を抱えるキャラクターなのだ。
邦題「セッション」は不評なのだそうだ。原題はフレッチャーの振る舞いに掛けられているからだ。しかし私は良い邦題をつけたな、と思う。
この映画はフレッチャーとアンドリュー、二つの強烈な<エゴ>のぶつかり合い、「セッション」なのだ。
終盤、アンドリューはフレッチャーの強烈な<エゴ>に屈し、ドラムを封印する。
ここで映るコロンビア大学(オバマ大統領の出身校で有名)の願書や、レジ打ちとして働く場面は、彼が一般の大学生として〈公〉に溶け込んでいく様子を描いているのだろう。
さらに彼は、弁護士という<公>的な機関で、<公>的な手続きによって、フレッチャーを学院から<公>的に抹殺する。
フレッチャーと同じく音楽によって支えられた〈エゴ〉を所有していたアンドリュー。彼はその音楽を捨て、<公>の者になってしまったのだ。
しかし、彼の<エゴ>を呼び覚ましたのもまた、フレッチャーの<エゴ>であった。
自分を学園から追い出したのがアンドリューであると知っていたフレッチャーは、自分の新たなバンドが出演するフェスに、バンドマンの一員として快く招くフリをして、わざと誤った曲の演奏を指示する。アンドリューに<公>の場で恥をかかせようという魂胆だ。そしてその目論見は成功する。復讐である。究極の〈エゴ〉イズムだ。
しかし彼の復讐は、アンドリューに<公>的な恥辱を与え、彼の<公>的なアイデンティティを崩壊させることは出来たが、失ったアイデンティティを埋めるように、彼の<エゴ>ははるかに増大するのだ。
「悔しいか!悔しいといってみろ!」
フレッチャーが学院で彼を罵った言葉だ。
今までの味わった悔しさと、フレッチャーに対する憎しみのすべてを込めてドラムを叩く。言葉や暴力ではなく。
「次はスローな曲を…」と<公>たる観客に紹介するフレッチャーを激しいドラムプレイで遮り、バンドマンに指示を与える。
「キャラバンだ!「僕が」合図を出す!」
彼の強烈な<エゴ>にバンドマンもついていくしかできない。彼の独壇場である。
そんな彼にフレッチャーは必死にこう罵る。
「なんのつもりだ。」
「目玉をくりぬいてやる。」
音楽という、〈エゴ〉そのものともいえるツールを駆使して語るアンドリューに対して、フレッチャーの言葉という貧弱な、〈公〉的な武器では、もはや戦車に竹やりである。
未だ<公>に囚われたフレッチャーに敵うはずがないのだ。
やがてフレッチャーは負けを認めるように微笑む。
フレッチャーとアンドリューの目線が交差し、キャラバンのクライマックスがホールに響く…。
この映画は、勘違いした個人主義に走る今の所謂「若者」や、それを批判する所謂「大人」、またアメリカナイズドされた中途半端な個人主義とか、和を大事に、といった言説に対して、強烈な一撃を浴びせる。
究極の<個>、狂気に限りなく近づいた<個>が自己表現の手段を得た時、相手の精神を直接、そして激しく揺さぶり、反目し合う〈個〉と〈個〉を半ば強制的に止揚してしまう。
それは美しく、そして危険でもあるのだ。
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