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記憶を失っていくということ

Netflixで映画『Father』を観た。認知症で徐々に記憶を失っていく主人公の視点から多くの場面が描かれており、記憶を失っていくということがどういうことかを考えさせられる映画だ。時々第3者視点が入るので、主人公がどういう状態なのかがわかるのだが、それがなければ多くは主人公の視点で描かれるので、観ている方も状況がよく飲み込めないという場面もある。

主人公は、自分のアパートから、娘夫婦のアパートに引き取られ、さらに施設に預けられるという状況になっていったということがわかるようになっているのだが、主人公視点だと、自分は今も自分のアパートにいると思っているが、娘夫婦に何度も言われることで、娘夫婦のアパートに移ったことまでは時々思い出せるが、施設に移ったことは全く認識できていないようだ。短期の記憶が残らないので、時間の感覚も狂ってしまうようだ。最後に主人公は、ほとんどの記憶を失い、施設のヘルバーを母と認識してしまう。

主人公の視点で描かれる場面が多いので、自分の記憶がなくなっていくということがどういうことなのかということが追体験できるような感じがあって、記憶がなくなることの恐怖を感じる。それがアンソニー・ホプキンスの名演もあって本当にリアルに感じられた。

記憶を失うことと如何に付き合うか


ところで記憶を失うことの何が恐怖なのかということについて少し考えてみた。映画を観ていると新しい知識からどんどん失われていって、最後に自分が子供であった時の記憶だけになっていく感じだ。自分という存在にとって記憶というものが如何に大事であるかということの裏返しだ。そうは言っても人はいろんなことを日々忘れてもいるわけで、要は何度も何度も記憶された大事な記憶があり、それまでもが次第に失われることが問題なのだ。

大事な記憶だからこそ、何度も何度も繰り返し記憶し直されているから、ずっと残る記憶になっているはずだ。そういう記憶に残っている人たちを信頼して、失われていく自分の記憶とうまく折り合いをつけて穏やかに人生の終わりを迎えることはできないものか。主人公は、失われていく記憶に抗って自分はまだ記憶を失っていないということに縋りつことするが、どんどん失敗を重ね自信を失っていく。嘗て自分が強く振る舞っていればいるほど、そのような弱い存在になることのギャップに戸惑い、自分に納得がいかないだろう。そこで自分はずっと記憶を保てる存在ではなく、周りの人の助けがあってこそ存在できる弱い存在であることを自覚して、人間関係を保てるようにしなければいけない。自分もそのような周りの助けが必要な弱い存在になるんだという自覚を持たなければいけない。そして誰もがそうであるように自分の周りに暖かい人間関係を維持し続けておくことが本当に大切なんだということを感じた映画でした。


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