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人間にとって幸福とはなにか

荒木博行さんのbook cafeというpodcastを毎朝聴いているのですが、『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』青山拓央の回は特に色々考えることがあったので、少しそれを纏めておこうと思います。

観念論と実在論から考える幸福とは

今回の話は、幸福とは何かについて、観念論と実在論の観点からの話で、観念論的に言えば、自分が幸福と思えることが重要であるが、実在論的に言えば、客観的にみると幸福とは思えない場合もあるということです。

これは幸福を自分という視点からみるか、もう少し俯瞰してみるかの違いのようにも思えますが、自分の視点を俯瞰的にするにはより広い社会を知ることも必要なのだと思います。現在のように移動もかなり自由になり、情報も溢れるほどになると、一時的に自分は幸福なんだと思っていても、より広い外の世界を見るといやそうじゃないなと思ったりしてしまいます。なので、観念論と実在論を行ったり来たりしている感じでしょうか。

そもそも実在論自体も人が考えているという時点で、一つの観念論であるともいえるわけで、哲学的にどう違うのかとかはわかりませんが、人間は現実を理解するのに何らかの物語が必要であり、ある意味何かに洗脳されているとも言えます。というか洗脳されずに生きていくことはできないとも言えます。

人間の限界と幸福のゆくえ

そのような洗脳から抜け出すためには、瞑想などによって今、ここに集中することで一旦自分が信じている物語から抜け出すことも一つの方法です。これはある意味、動物としての人間の本来性を取り戻すということでもあります。チンパンジーは今、ここのことしか興味がないので、明日死ぬような状態でもバナナを貰えると嬉しそうに食べるそうです。そういう状態を取り戻すことで自分の幸福に対する認識を見直すことはできると思います。

そうは言っても、ずっと瞑想を続けていくわけにはいかないので、また今、ここではなく、先の事を考えて、悩んだり、希望をもったりするわけです。そうすると再び、観念論と実在論を行ったり来たりすることになります。そうなるとある時には幸福であったり、ある時は不幸であったりします。

人間は集団生活をするために自己家畜化してきたので、幸福や不幸であるかは自分の所属している集団内での自分の役割みたいなものに影響されるようにも思います。しかし人間の脳には限界があって友人として認識される数は150人位(ダンバー数)とも言われます。なので現代社会はより自己家畜化しないと適応できない社会になっていると思います。その1つの解が荒木さんも取り上げていたマトリックスの世界であり、最近では、攻殻機動隊SAC_2045で描かれていたNという社会です。Nの社会では、それぞれは自分のメタバースにいながら協働しているような社会です。だからある意味皆幸福です。

攻殻機動隊SAC_2045での世界についての感想は別途書きました。

攻殻機動隊が描く世界での幸福は、ダンバー数を越えて人類がほとんど友であると感じられる状況なのではと思います。その先の世界になるまでにメタバースが個々の人に閉じられなくとも幸福感をもたらすものにしていかないといけないのではと思います。

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