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あなたが何を考えてるかわからない

これは私が夫婦げんかの末に夫から言われ、そしてこの時のけんかを終えたひとことだ。
終えたと言ってもキレイに緞帳が降りたわけでなく、次の展開があるのか無いのか微妙な空気のまま、暗転して終えたような感じだった。


うちの夫婦げんかは、1割が我慢強い夫の限界、9割が我慢弱い私の限界が理由で勃発する。
意見を言う→ヒートアップする(私が)。→感情的になってくる(私が)。→夫が離脱する。という一般的だと思う流れで。
つまり私はよく主張をするんだ。my考え、my不満、my要望を。
夫婦だからこそと思っているし、夫にもそうあって欲しいと私は求め伝えている。

にもかかわらず、「あなたが何を考えてるかわからない」だと?

いや例えば、
「その要求は矛盾してるだろう」
「言ってることが滅茶苦茶だ」
とか言われれば具体的だと思う。(滅茶苦茶が具体的ってなんだ)
だが「何を考えてるかわからない」とは、「あなたがわからない」とも省略できて、大変に我慢強い夫のその我慢の内側に溜め込んでいた感情が、まさか会って10年の付き合いになる妻が「わからない」だなんて。

そんな風な哲学があったような無かったような気もして、(知れば知るほどわからないってやつか)と自分の中でオチを付けられないこともないけれど、いかんせん私は私の考えを常に発信している。感情的になってしまいケンカに発展するけれど、伝えたいという強い意志をもって言葉を選んでいると思う。

それで話は冒頭に戻る。
夫の発言を最後に微妙な暗転をして終えたわけだが、続けて私が明転しなかったのは、返す言葉がなかったからだ。
呆れたとか怒りすぎてとかじゃない。

(同感だ。)  と思った。

滅茶苦茶とか、支離滅裂とか言われていたらムキになって言い返してたかもしれない。
でも(あなたが)わからないと言われて「私はこうだよ」と咄嗟に言えなかった。出てこなかった。
誰だって道端で突然、自己PRして下さいと言われても急に纏められないだろう。
でも私はその前の瞬間まで自分の考えを主張してたのだ。
「あなたは何ですか?」と問われて咄嗟に出てこなかったのは、たぶんその質問のスケールのデカさだけじゃない。

ここまでで書いた「我慢弱い」「感情的」「強い意思」はどれも私の事だ。
そんな子持ちの主婦だ。
そもそもけんかの発端のほとんどが主婦ゆえの、些細な家事(食器下げてよーとか)が原因だったりして。
でもそういえば最近、つい「我慢できない」ほど「感情的」になって「強く主張」した事柄は、家の事、以外なにかあっただろうか。

ソーシャルディスタンス・デイズ。
それはわりと言い訳だ。
むしろ新しい生活様式に、人々は新しい考え、価値観を模索し実行してるというのに、私は夫が買ったこの家で、窓から外を眺め続けている。
小学校で授業もろくに聞かずに、空を描いていた小さな私が頭をよぎる。

「あなたが何を考えてるかわからない」
同感だと思った瞬間、それまで夫に向けていた矢印が、私を向いた気がした。


そしてこれが、私がnoteを始めるきっかけだ。

自己分析なんてたいそうなものじゃない。
それなら占いや心理テストでもやればいいわけで。
私は私が何を考えてるのか、私も知りたい。

幸い書くことは好きだから、頭の中から主張する私を引っ張り出して言葉を並べていけば、いつかもしかして少しでも、私は私をわかるかもしれない。
なんの話をしましょうか。
好きな映画や好きな色の話。観葉植物にいつも水をやり忘れる話。

出てこい私。
いつか夫にみせるとして、胸を張ってこれが私ですと言えるように、今日、やっと緞帳を上げる。

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