「夢」を操る方法

何とも怪しげなタイトルである。
先日家で観てた「人志松本の酒のツマミになる話」で野球の新庄監督が、夢の続きを見られるという話をした際、周りのゲストが若干引き気味で
とても驚いた反応だったのでちょっと意外だった。自分は新庄の言ってることが自然に共感できたからである。
自分もある程度であれば昔から夢を操れるからだ。
でもこれがそれほど特殊なことだとも思ってなかったので、これまであまり人には言ったことがなかった。
妻に話してみたら、そんなことは普通できないからかなり特殊だ、的なことを言われ、では「夢の操り方」を文章にしてみようと思った次第である。

まず、そもそも夢を見ない、とか全く覚えてない、という人がいる。
これは眠りの質や睡眠時間にも左右するし、一概には言えない。
自分はわりと毎日何かしらの夢を見ている気がする。多分夢見がちなタイプなんだと思う。これは持論だが、右脳人間の方が夢見がちなのでは、と思っている。
自分は完全なる右脳人間と自覚していて、イメージ力や記憶力、想像力やひらめきがベースで生きている。逆に左脳的な、冷静かつ論理的に物事の筋道を立てて考えることが非常に苦手である。
右脳人間に加えて、物事をビジュアルで捉えがちなので、例えば企画書を書くにもテキストやデータでなくイメージ画ばかりでつい構成してしまう。その方が自分には伝わりやすいので、人にも当然伝わりやすいと思い込んでいたりするが、人によってはぜんぜん伝わらなかったりする。
自分のように普段生きてる世界をビジュアルで脳にインプットしている人間は、脳内に画像や映像のように生活の断片が残っていると思われる。それと、趣味半分仕事半分でスチルと映像のカメラマンをやっているのも影響しているかもしれない。

そういう訳で、自分は恐らく人より夢を見やすい質なのではないかと分析する。
夢というのは自分の脳の中にあるビジュアルメインの記憶を組み合わせて出来上がっているように思えるからだ。

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