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「君主論」のざっくりまとめと個人的感想

テレビを見ていなさすぎて、開会式の翌日にオリンピックが開催されていることを知りました。ゆーりです。
在宅ワーカーなので、公式サイトにアップされているマイナー競技の動画を見ながらオリンピックを満喫。特に馬術がめっちゃエキサイティングでした。

馬場馬術は高尚な感じで正直良くわからなかった(公式動画は解説が英語なので)んですが、障害馬術は素人にもルールが明確でテンション上がったし、クロスカントリーはヴェルサイユ宮殿を馬で疾走できんの?超クールじゃん!ってなりました。

というわけで、貞観政要、韓非子に引き続き(勝手に命名した)帝王学シリーズ第3弾、「君主論」。

書籍は「孫子の兵法」くらいの厚さ。思ったよりも薄かったので、これはすぐ読み終わりそう!と歓喜したのですが、全然ダメでした

これまで読んできたのは中国古典で、西洋の書物は初。しかも何かと詩的な言い回しが多く、それが理解を更に難しくさせます。

これは韓非子とも同じですが、過去の歴史の例示がかなりあります。これに関してはコテンラジオを履修していたおかげで、半分くらいは理解できました。
個人的には、アレクサンドロス、フランス革命、カエサル、ハンニバル、オスマン帝国、民主主義の歴史あたりは履修しておくと理解しやすいかもしれないと思いました。(けっこうあるな)

あらためて記載しますが、書籍の全内容を網羅的に紹介しているわけではなく、自分が気になったポイントをかいつまんで再編しているだけなので、属人的なフィルターがかかっていることをご理解ください(ガード文言)

著者について

マキャベリ(諸々表記があるが一番書きやすいのがこれなのでこの表記で統一)が生きたのは 1469年~1527年のイタリア。
日本では室町時代の中期~後期にさしかかるくらいの時代です。

マキャベリ自身は名家の出身ではあるものの、決して裕福ではなかったようです。ただ、家には多くの蔵書があり、独学で古典の教養を身につけたとのこと。

30歳前後に官僚として登用されましたが、約15年後に政変のあおりを受けて解雇。一時は冤罪で牢獄に入れられるも釈放され、隠遁生活を送ります。

そんな中、イタリアに新たな国が興ることを聞き、官僚としての再起を図るため時の権力者に献上する書物として、わずか5カ月で書き上げたのが「君主論」。

つまり、君主論は「君主のために書いた本」ということになります。

これまでの中国古典との違い

血統の重要性が薄い

新しい国をどう治めるか」に重きが置かれているため、「後継者を早く指名しろ」「正室と妾は区別しろ」というようなことは全く語られません。
これはあくまで推測ですが、後継者に関する明確なルールがこの時代のヨーロッパにはあり、問題になるほどのことではなかった、という可能性はあります。

「君主のため」の本

君主論や韓非子と比べると、どことなく「君主に気に入られるような内容を書いている」という印象があります。国をよく治めるにはどうすべきか、ということが書いてあるのは間違いないのですが、誰にとって「よく」治めるのだろうね?という感覚を少し持ちました。(完全に個人の感想ですが)。

それではざっくりと内容をまとめます。

1.他国(他地域)を侵略する際に必要なこと

他国の小勢力に手を貸し、侵略をする

他国内に複数勢力が存在する場合は、小勢力側を味方に引き入れ、彼らと協力して大勢力を滅ぼす。これにより小勢力側に恩を売ることができるし、後に小勢力が自分たちに対抗するようなら、容易に滅ぼすことができる。

逆に大勢力側に協力した場合、彼らがより強大な勢力となる手助けをすることになり、自国が滅ぼされる危険も出てくるため避けること。
また、強大な外国勢力と協力して侵略を行うことも、同様に避けるべきだと書いています。

ちなみに、他国内に複数勢力が存在せず、一枚岩の状態になっている場合は、自国の武力のみをもって力で侵略しろとのことです。

加害行為はなるべく最少にとどめ、一気に行う

マキャベリは、悪事に大して「良い」という言い方が許されるならば、と前置きしたうえで、良い残虐と悪い残虐があると言う

良い残虐とは、最初期に政権の安定を図るために行われるもので、悪い残虐とは、時間が経つにつれてエスカレートするものであり。悪い残虐を行って得られた国を維持することはできない。としています。

加害行為を行う場合は、どのような攻撃をするのか事前に検討し、何度も繰り返さないよう、すべてを一気に行うこと。残虐行為を繰り返さないことが、民を安心させることにつながる。
その後は民に恩恵を施し、手なずけるようにする。民衆に施すときは、なるべくゆっくり、少しずつ、長期にわたり与えるようにするのが効果的だ。

2.侵略した国を治める際に必要なこと

自国と侵略対象の国が同じ文化を持つ場合

侵略前に統治していた君主の血統を絶やす。
そして、民衆の生活は侵略前と変わらないよう、法律や税制など、既存の制度を維持するのであれば、国を治めるのは容易だ。

支配した地域が、自国とは異なる言語、風習、制度を持つ場合

この場合、君主自らが支配地域に居を構え、自軍の兵士を支配地域の一部にに移住させることが大切だ。
これにより、反乱があってもすぐ鎮圧できるし、君主が支配地域に住むことにより臣民の声を聞きやすくなり、信頼関係を築ける。
臣下を支配地域に派遣して治めさせるのは、臣下に支配権を簒奪さんだつされる危険性があるので避ける

多数の兵士を「駐屯」させ続けるのは非常にコストがかかるため、「移住」させ、コストを最小限に抑える。

ちなみに「自軍の兵士を支配地域に移住させる」ことについては、支配地域の土地の一部を奪い、そこに移住させると書いていて、「土地と家を没収されるのはほんの一部の民だけであり、多くの民には害はない。生活基盤を没収された人々は貧しくなり散り散りになっていくから、君主に害を及ぼすことは到底できない」
としており、これはヤベー発想だなという印象

個人的には、せめてお金を与えて立ち退いてもらえばいいのに、とは思ったのですがが、書籍内では「人民は優しく手なずけるか、抹殺してしまうのが良い。人民は軽く傷つければ復讐してくるが、圧倒的な危害に対しては復讐することはできない。」
という理論も展開しているので、これは採用しないんだろうな…。

3.君主と軍隊

君主にとって必要なものはよき土台であり、どの統治体制であっても持つべき土台とは、良き法律と良き軍備である。(君主論では、法律は省き軍備について書いている。)

自己の軍備を持たなければ、いかなる国も安泰ではない

自軍とは、臣民や市民、臣下から構成されるもので、傭兵や他国の兵力に頼るのは危険である。歴史を見れば、傭兵軍や他国の援軍によって国が治まった例もあるが、それは単に運が良かっただけだ。

君主は、戦争と軍制と軍事訓練の他には何の目的も考えも抱いてはならない

君主は、平時にこそ、よりいっそう軍事訓練に励む必要がある。
実践の訓練だけではなく、歴史書を読み過去に学ぶ姿勢も必要である。
軍備をおろそかにし、贅沢な生活にうつつを抜かせば、やがて国を失うことになるだろう。

4.君主の心構え

良い気質を実際に備えていることよりも、備えているように見せることが大事

たとえば慈悲深いとか、信義に厚いとか、人情味があるとか、裏表がないとか、敬虔だ、などが「良い気質」にあたる。これらを備えていることはもちろん大切だが、
これらの気質を備えているように人々に思わせるのが何よりも肝心だ。

これは、民衆は君主と直接話すことができないため、君主の外見や実績だけで君主を判断することになるからである。

だから君主は、功績をあげ、ひたすら国を維持すればよい。民衆はその結果だけを見て、良い評価をするだろう。

国を守るためなら悪評も怖がるな

善い資質ばかりを身につけた君主がいるなら、賞賛極まりない人物だと誰もが認めるだろうが、そうした気質を備え、完璧に守りながら生きていける人間は存在しない。
必要なのは、思慮深くふるまい、悪評を避けることだ。

だが、悪徳を行使しなければ政権を守れない場合には、躊躇わずに行使すべきだ。表向きは悪徳に見えても、それを行うことで自らの安全と繁栄がもたらされることもあるからだ。

自国ものは控えめに使い、他国のものは惜しみなく分け与える

君主がケチだという評判は、少しも気にしなくてよい
「惜しみなく与える」という評判が立つことは、一見良いように見えるが、その評判を維持するために国の財を使い果たし、民にも負担をかけてまで与え続ければ、誰からも尊敬されなくなる。

よって、自分や自国の民のものは控えめに使うべきだが、一方で略奪した他人の所有物は惜しみなく与えるべきだ。
惜しみなく与えても自国の不利益になることは一切ないからである。

愛されるより恐れられる方がはるかに安全だ

君主は、たとえ愛されなくてもいいが、人から恨みを受けることなく、しかも恐れられる存在でなければならない

誰しも、冷酷と思われるよりは慈悲深いと思われたいだろう。しかし君主は、自国の民を結束させ、忠誠を誓わせるためなら、冷酷だと言われることを恐れてはいけない

一般的に、人間は恩知らずで、気分屋で、偽善者で、身の危険を振り払おうとし、欲や得には目がないものである。
そのため、恩恵を施されているうちは従順に従うが、なくなれば背を向ける。金で買った友情が長続きしないのと同じだ。

また、人は自分に危害を加えてくる可能性が高い人間に対しては攻撃しないが、愛情をかけてくれる人は容赦なく傷つける。
人間はもともと邪なものであるから、恩義の絆などは、自分の利害が絡めば容易に断ち切ってしまうのだ、としている。

このあたりの記述は完全に性悪説で、韓非子を思わせるものがありますね。

貴族に恨まれることなく、民衆を味方につける

恐れられることと恨まれないことは両立できる。
臣民から恨みを買わないためには、臣民の財産、彼らの婦女子に手を付けないということを必ず守ること。
人間にとって、自分の財産の喪失は忘れがたいものであるから、他人の持ち物に手を出してはならない

どうしても自分の手によって何かを犠牲にしなければらないときには、明確な口実としかるべき動機がある時のみ行うこと。

また、君主が軽蔑されるのは、君主の気が変わりやすく、軽薄で、億秒で、決断力がないと見られるときである。

よって君主は、自分の行動の中に偉大さ、勇猛さ、剛直さがうかがえるように努力しなければならない

臣下に対しても、自分の決断を撤回しないようにし、君主をだまし、言いくるめようとするのは愚かである、と思わせることが大切だ。

民衆の信望を集める方法

君主が信望を集めるには、何よりも大事業(この時代では戦争)を行い、自分には行動力があり、並外れた資質を持っている人間だと思われるように努めることである。
能力のある者を賞賛し、重用することで、彼らの重要性を理解していると示す必要がある。
君主の威光を守ること。これは絶対ないがしろにしてはいけない

そのほか、ざっくりと箇条書きで紹介。

  • 市民が安心して財産を増やし、商取引を行えるよう配慮する。(市民が重税を恐れ、商取引を控えたりすることがないようにする。)

  • 国に貢献した者や良い心がけの者には褒賞を用意する。

  • 一年の適当な時期に祭りや催しごとを開き、民衆の心をそれらの催しに集中させる。

  • 都市にある様々な組織や組合と、折に触れて会合を行い、君主が気にかけているということを示す。

現状認識と方策が適合しているかどうが大切

これを行えば常にうまくいく、という方法はない。現在の状況と取るべき方策が一致していれば成功し、そうでなければ失敗する。

韓非子にも似たような記述がありましたが、
たとえば過去の歴史から学べることはたくさんありますが、その時代、その時、その人が行ったから成功しただけであり、今の時代、この状況であなたが行っても成功するとは限らない、ということですね。

5.側近の扱い方

側近は、何よりも君主のことを優先して考えなければならない。君主のことよりも自分自身の利益を考えるような人間を採用してはいけない

側近との信頼関係の築き方

君主は、優秀な側近には十分に名誉と権限を与え、暮らしを豊かにし、恩義をかけ、栄誉と職務を分かち合って、彼の身の上を考えてやらなければならない
政変が起こり君主が変わればそれらが失われてしまうこと、君主がいるからこそ恩恵が受けられることをわからせるのだ。

直言は限られた賢人にのみ許し、自ら判断せよ

マキャベリは、「君主は、真実を伝えても機嫌を損ねない君主であると思われることが大事だが、そう思われてしまうと、君主を尊敬する者はいなくなる。」としている。
(この部分、個人的にはあまりしっくり来ませんでした。)

そこで、国内から賢人を選び出し、彼らにのみ、君主に真実を率直に話すことを許す。それも、君主が尋ねたことについてのみ、である。

そして、君主が尋ねるとき以外は、君主に助言しようなどという考えを持たせないようにする。
君主は、彼ら以外の意見には耳を貸さず、自らの決断を必ず守り、貫くことが大切だ。

マキャベリは、最も優れているのは自分ひとりの力で考える人、やや優れているのは、他人に考えさせて良し悪しを判断する人。役に立たないのは、自分で考えず、他人にも考えさせない人。としています。

一般的に、明君と噂される人物は、君主よりも優れた側近が助言者としているからだ、と言われるが、それは間違っている

君主その人が英明でかしこくなければ、人の意見をうまく聞くことはできない。良い意見は君主の思慮から生まれるものであり、良い助言から君主の思慮が生まれてはならない

ということで、言わんとしていることはわかるんですが、「全員に率直な意見を話させるようにすると、君主は尊敬されなくなる」という点が腑に落ちないんですよね。

これは自分自身が「君主リーダー」になったことがないからなのかもしれませんが、役職関係なく、率直な意見が上がってくること自体は大事だと思うんですよね。

ただ、もしかすると、君主が「恐れられる存在」であるために、そうする必要があるのかも。あとは、この時代の「賢人」でない人たちは最低限の教育も受けていないので、そういった者の話を聞く必要はない、と思っていたのかもしれません。

感想

思ったよりも過激な本ではない

君主論を読む前は、「国を安定させるためにはどんな手段を用いてもよいみたいなことを言っている本」というイメージがありましたが、まあ、そう言っているようにも取れるけど、そう言っているわけではないというか

残虐行為自体はもちろん否定しているし、理由が明確であり、どうしてもそれ以外の方法がないのであれば、最小限の残虐を行ってもよい、というニュアンス。
まあ確かにこれは「国を安定させるためにはどんな手段を用いてもよい」という風に理解されかねない内容ではあるのですが。

「君主のため」に書いているのが見えてちょっと嫌

これはこの本の性質上仕方がないのですが、やはり君主に媚を打っているように見えるのが少し不満というか。

ただこれは完全に個人的な嗜好に起因していて、自分は、権力にすり寄って生きる人よりも、理想に燃え自分のやりたいことをやって散る人の方が好みだからです。

もちろん、「臣民の財産や彼らの婦女子を奪ってはいけない」とか、「国防のことだけを考えて生きろ」などの厳しい?言葉は言っていますが、

良い意見は君主の思慮から生まれるものであり、良い助言から君主の思慮が生まれてはならない」「君主が尋ねるとき以外は、君主に助言しようなどという考えを持たせない

等の記述を読むと、ホントにそうかなあ~というか、どうしても、「君主あなたは優秀ですから、臣下には必要以上に口出しさせる必要はないですよ」と言っている感じがするし、それは君主にとっては良い国なんだろうけど、民にとってはどうなんだろう?とどうしても思ってしまう。

あとがき

この君主論こそ、まさにリーダーが読むべき本というか、リーダーが読んでこそ、深い理解が得られるのかも。という感覚が強かったです。

自分にはリーダーとしての経験がほぼないからだと思うのですが、
韓非子は「この時代はこういう時代だったからそうなんだろうな」と思えたのに対し、
君主論には「あなたマキャベリの立場が、君主論をそう書かせてるんじゃないですか?」という印象がどうしても拭えず。若干不完全燃焼気味です。

帝王学シリーズ、第4弾以降もあるかは未定です!


役に立ったらサポートしていただけるととってもうれしいです。