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インド、イライラしたらチャイ飲んでおちつけ、初めての一人旅③

職場にいると、落ち着いていますね、優しいですね、穏やかですねというようなことを言われることがある。

怒る時ないの?と聞かれたら、

そうですね、インドに行ってからイライラしなくなりましたね、と答えている。

だからといってインドに行って、決して悟りがひらけたとか、新しい自分が見つかったとか、そういうことでは全くない。

ああ、世界とかはこんなにいろいろな人がいて、いろいろな事がちがうんだな、と思った…

と書いてみて、そうでもない気がしてきた。

イライラするのにうんざりするほど、次から次へと理不尽な目に遭ったのだ。

そうだ、イライラしたり、怒ったりするエネルギーをインドは超えてきた。何倍、何十倍ものエネルギーをぶつけてきた。

たぶんインドはぶつけた気もない。ただ、毎日、何年もそうやって生活があった。そこにただ、旅行者が混ざっただけ。


18才、初めての一人旅も1週間が過ぎ、バングラデシュからバスを乗り継ぎ、リキシャを乗り継ぎ、良い人に助けられ、下心のある人に利用され、なんとかなんとかインドの国境までたどり着いた。

それなりの達成感に浸る私を待っていたのは、さらなるアクティブさ、熱さ、積極性を感じさせるインドの人々だった。

リキシャに乗れば交差点の真ん中で降ろされ、日本人は友達だと言ってくるのでついていってみると商品を買うまで店に閉じ込められ、電車に乗れば故障で30分ごとに止まる。

そんな毎日に不安、怒りをもつこともあったが、なんか楽しむ余裕も少しあった。脅されたり、殴られたり、本当に酷いことは私は経験しなかった。

話しかけてチャイをごちそうしてくれる人もいたし、政治やカーストについて熱く語ってくれる人もいた。日本人と一緒だと成功しやすいからとナンパに付き合われることもあった。

いいも悪いもとにかくエネルギッシュでその人の欲があった。

日本人にとって、旅行者にとって、男にとって、私にとって理不尽だとしても、相手からしたらそうじゃないのかもしれなかった。

インドでは、イスラム教では、ヒンディーでは、それぞれの考え方、習慣、風習、みんな違った。気遣いの仕方、ものの勧め方、嫌がり方、失礼に当たること、違うから、私にとってイライラすることでも当たり前のようにやってくるのかもしれない。

そんなことを宿に帰って一息つけるようになるとあーだこーだと周りの旅行者と話しあって、そこでもまたぶつかりあう。

同じ旅行してる人でも同じ国の人でも、思うことは違うのだ。

当たり前だけど、当たり前じゃない。

違いを受け入れる。

多様性。

大切なことを学んだようで、毎日振り回されていたようなだけで。

私は結局、高熱を出して下痢をして寝込んだ。

さすが、インド。

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