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浜松城もみじ茶会with浜松徳川武将隊〜夢に向かって Vol.2〜

11月3日開催の「浜松城もみじ茶会🍁with浜松徳川武将隊」夢に向かって😊

第二話は「会場はこんなところ〜❣️」

ここは今、浜松城本丸跡と呼ばれている広場の一角で、お城の東南の角に突き出た場所。

ご覧いただけるとおり桜の古木がたくさんあって、花見の季節には夜まで賑わう桜の名所の一つです。 

写真ではまだ青い葉っぱ、当日は綺麗に彩られて
いると嬉しいです🍁

今でこそ立派な天守閣を備え、堅牢な石垣に囲まれている浜松城ですが、家康さんが在城していた時代は周囲を堀や土塁(盛土による防壁)で囲み、その中に板葺き屋根の平屋の建物が立ち並ぶ姿だったと言われており、お城というより砦のような印象さえ受けます。

現在の「お城」の姿は、家康さんが豊臣秀吉の命により関東へ所領換えの後、豊臣氏家臣の堀尾吉晴によって築かれたものが基礎になったと言われています。

家康さんの性格というと、「鳴かぬなら~」の一句が浮かびます。じっくり腰を据えて時を待ち、最後に美味しいところを持っていく。

ところが、知略と忍耐の人かと思いきや、特に若いころの家康さん、合戦にはめっぽう弱かったらしく、浜松に遺る伝承には負け戦にまつわるものがとても多いのです。

命からがら逃げてきて神社の大きなクスノキの洞に隠れて追っ手をやり過ごしたとか、食うや食わずで逃げ回った挙句に里の餅屋でお代金も払わずに食い逃げしたとか…今ではお餅を食べた場所が「小豆餅」そして店主が追いかけてお代金をいただいた場所が「銭取」という地名になっています😊

後に圧倒的権力者となる片りんはどこにも見当たらないのですが、一方で、こんなに弱い家康さんを一生懸命に庇う領民の姿も見て取ることができます。

自分の命や人生が、彼らを支配する領主の強さにかかっていた時代だったことを想うと、戦下手を補ってなお余る人間的な魅力が家康さんにはあったんですね。

家康さんの時代に思いを馳せながら…時にタイムスリップした気分になりますね😉

本日もお読みいただきありがとうございました💖

もみじ茶会🍁会場です❣️
美しい夜桜🌸賑やかになります❣️

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茶道家 増田久枝

Beauty Japan2022中日本大会 グランプリCareer賞受賞
そしてBeauty Japan2022日本大会 グランドファイナリストとして
11月25日の本大会に向けて活動中

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