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グランマ初めてのニュージーランド留学(1)

 ある日、新聞に掲載されていた「シニア留学」の案内が目に留まりました。私が生まれたのは1946年。女性の大学進学は少なく、私自身も高校を出ると働くのが当然と思っていました。そんな時代でした。23歳の時、職場の上司が英語に興味を持っているのを知って、「姪がアメリカ人と結婚してオレゴンに住んでいる。3人の子供のベビーシッターをしてみないか?」と声をかけてくれました。当時は、アメリカまでの直行便さえありませんでした。8か月後、お世話になった一家がテキサスのダラスに行くのをきっかけに帰国。その後は、結婚、子育てと英語とは無縁の日々を送っていました。やがて、人生の折り返し点を過ぎた頃から、頼りない英語と度胸だけで娘や友人とヨーロッパ旅行を楽しんでいた私は、向こう見ずにも「シニア留学」に挑戦することにしました。行先はニュージーランド。期間は4週間。2010年の秋でした。

 学校は、KAPLAN INTERNATIONAL COLLEGES。南島クライストチャーチにあります。オークランドで乗り換え、クライストチャーチ空港に着くと先に到着していた留学生達と一緒に、迎えのスタッフが待っていました。私たちはそれぞれのホームステイ先で降ろされ、最後に残った私のホームステイ先は郊外の丘の上の黄色い平屋のお宅でした。事前の資料では、夫婦2人暮らしでホームファーザーはエンジニア、ホームマザーはカフェのオーナーとのこと。案内された部屋は、学業のためオークランドに滞在している娘さんの部屋でした。荷物を置くと、お2人は車で市の中心部を案内してくれ、通学に必要なバスの定期券もターミナルで購入。さあ、明日から学校です。

 翌朝目を覚ますと、天井がぐるぐる回っています。大変。お2人に事情を話し、「今日は休む」と伝えると「多分、飛行機酔い」と言われ、渡された錠剤を飲み登校するように勧められました。そう言えば、オークランド空港で整備のためか飛行機が中々離陸せず、やっと飛んだと思えば耳がキーンと痛くなったこと、見回せばあちこちで同様の症状の人がいたことを思い出しました。家の近くの停留所で、不安と期待の混じる気持ちを抱えながらバスを待つ初日でした。

 教室は4階。クラスメイトは9人。日本人が4人。フィンランド人が3人。スイスとハンガリーから1人づつ。全員50歳以上です。自己紹介の後、レベル確認のテストがありました。テストは筆記試験に加え、留学した理由を書く作文と面接。担任はとても美しい40代前半と思われる女性。結局、全員同じクラスで学ぶことになりました。授業は午前中みっちり学び、午後は校外学習に出かけるというカリキュラム。とても楽しいものでした。クラスメイトは年齢差はあっても、ほぼ同年代。すぐに仲良しになりました。約10年前のことですが、記憶に残る、楽しい経験を紹介したいと思います。ちなみに、当時の留学費用は、斡旋会社に支払う授業料、滞在費(2食付き)に事務費も含め約250.000円。自分で購入する現地までの航空券代が約155.000円でした。参考までに。


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