テーブル

昨年イタリアのコロナ禍で生活が一変し始めたアーモンドの花咲く頃、新居を購入した。1年前から仮契約も終えて、手付けの支払いも済んでいたが、コロナのニュースが出始めた1月頃、決済方法を巡って諸問題があり所有権の移転まで至らなかった。それから待つこと数ヶ月、まったく人影もいなくなったフィレンツエの街中を夫と二人、許可書携帯、厳重装備で所有権移転登記をしにいった。街はそれまでに感じたことのない澄んだ冷たい空気に包まれていた。花の都フィレンツェは、その昔ローマ帝国に支配されていたころから小高い山に囲まれた盆地にあり、風の通りが緩いためか空気の粒子が幾分湿っているような感がある。だからなのかはわからないが、このトスカーナの木で作られるフィレンツェの家具も少ししっとりとしている。

さて、新居の引越しができるようになったのは昨年の9月の初め。それまで設備工事会社も運送会社も水道、電気、ガス、ネットなど生活に必要な諸々の関連会社もいつ再開できるのか、まったくもって不明、すべてのことが未定だった。結局、引っ越してから満足にシャワーを浴びられるようになったのはガス屋が4回ほど来た後。すべてがこんな調子で普通の生活再開までに3ヶ月を要した。

新居は静かな緑に囲まれ、何よりも空気が清清しい。フィエゾレの小高い丘にあがる途中にあるため、夕暮れ時にはサーモンピンクとパープルに彩られた空に柿色のドォーモが映し出されるパノラマは、永遠のときを刻んだ華やかし時代を思い出させる。この町でダンテが詠い、ボカッチョが哂い、ミケランジェロが目くじら立てながら彫刻を彫っていたのかと思うと、何だか偉人たちもそれほど遠い昔の人物ではないような、変な錯覚を覚えてしまう。

この街に嫁いで20数年の歳月が過ぎた。その間撮影の仕事で数ヶ月に一度二週間ほど家を空け欧米各地を回った。世界を紹介する旅番組の撮影だったため一流のホテルに泊まり、現地の有名レストランで食べ、特産物の紹介をする。何よりも旅が好きな私にとってはこれほど嬉しい職はないはずだが、でも1週間もすると家に帰りたくなる。別に家に帰りたいといっても帰宅したいわけではない。そうではなくて、旅先で知りえた様々な情報を整理して書きとめるため、ゆっくり一人でパソコンの前に座りたかったのである。 静かな部屋で、かき集めてきた膨大な資料を広げて眺め、読み、考え書く。その時間が何よりも充実していた。ただいつも、それらを広げるのに十分な大きさのテーブルがなかった。手持ちの小さな机はパソコンとマウスを置くだけでいっぱいになり、本や資料が床に散乱。当然、家族は怒る。だから、新居にはどうしても十分な大きさのテーブルが欲しかった。

昨年、撮影の仕事もそれに関連するすべての案件がキャンセルとなった。 私はここぞとばかり、毎日ネットでテーブルを探し続けた。朝と晩の二回。中古品販売ネットsubito.it まで使って大きなダイニングテーブルを探した。最初に見に行ったのは、1900年初期に作られた樫の木のテーブル。値段も手ごろで木の状態もよかったのだが、なにか心に訴えてくるものがない。インスピレーションがあわないというのだろうか、気に入らなかった。二回目に見つけたものは、持ち主のメールでのやり取りがあまりに一方的、横柄な感じがしたので、見に行く前にやめた。家の購入も同じなのだが、何かを購入するとき、私は何よりもその過程を重要視する。物を購入するということは、人生を左右するかもしれない大切な転機になるかもしれないからだ。ネット販売といえども、それは変わらない。そうして私は探すこと数ヶ月、人生を左右してくれそうなテーブルに出会えた。

それは、飴色になるまで使い込まれた栗の木の、厚さ9センチ、8人がけのダイニングテーブル。トスカーナ・アンティーク家具にあるねじり型の装飾がテーブルを支える左右に施されたなんとも品のよい姿。テーブルの表面をなでてみると手の平がしっとり吸い付くように溶け込んでいく。それでいて粘着しないちょうどよい感触だった。

さあ、このテーブルでこれまでにたまりたまった膨大な資料を整理しよう。誰にも文句言われずに好きなだけテーブル一杯広げて、眺めて、読みこむ。まずはイタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、オーストラリアにハンガリー、ドイツ、スイス、オランダ、マルタ。アメリカ、カナダも回らないければ。

人生を変えるテーブル。今、私の体の一部になり始めた。


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